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osho tarot

osho transformation tarot

Authenticity

Authenticity

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Authenticity / 真正、誠意、信頼

Milarepa and the false teacher

ミラレパと間違った先生




commentary(解説)…

深い信頼のなかにあれば、
状況がどうあろうとも、
信頼のその質が
あなたの生を変容してくれます。




osho…

覚えておきなさい…

もし光明 enlightenment を得た人々があなたの近くに来てもあなたがそれを認識できなかったとき、
その責任を彼らに投げてはいけない。

内側を観なさい…まだ準備ができていないのか?と。

時々、光明 enlightenment を得ていない人々が、
人々が光明 enlightenment を得ることを助ける
ということが起こる。

もし探求者の欲望が途方もないとき、
光明を得ていない導師masterであっても十分なことがある。


それはミラレパという1人の偉大な神秘家についての報告だ。

ミラレパがチベットの彼の導師(マスター)のところへ行ったとき、
彼はあまりにも控え目で、
あまりにも純粋で、
あまりにも真正だったため、
他の弟子たちが嫉妬し始めた。

彼が後継者になるのは確実だった。 

そしてもちろんそこには政治があった、
だから、
弟子たちはミラレパを殺そうとした。


ある日、他の弟子たちがミラレパに言った。

「もしお前が本当に導師masterを信じているならば、その崖から飛び降りることができるだろう?
もし本当に信頼があったら、 それはなんでもないことだ!
けがをすることはないさ。」 

そして、
ミラレパは一瞬の間のためらいもなく跳んだ。

弟子たちは駆け降りた、
なぜならば、
それはおよそ三千フィートの深さはある谷だった。彼らは散乱した骨を見つけるために降りて行った、
しかし、ミラレパはそこに蓮華座で、 とても幸せに、途方もなく幸せに坐っていた。

彼は目を開けて言った。

「あなた方は正しい…信頼は命を救う。」
 

弟子たちはそれは偶然に違いないと思った、

だから、ある日家が火事で燃えているときに、弟子たちはミラレパに言った、

「もしお前が導師masterを愛し、信頼していたら、燃えている家の中にだって入れるさ。」

ミラレパは燃えている家の中に取り残された女性と子供を救うために大急ぎで駆け込んだ。

ミラレパはやって来た、火はとてつもなくすさまじかったので、弟子たちはミラレパが死ぬものと期待していた、だが彼はまったく焼けていなかった。

そして、彼はその信頼ゆえに、 さらに輝きを増した。


ある日、彼らはどこかへ行こうとしていた、川を渡ることになった、そこで弟子たちはミラレパに言った、

「お前は舟に乗る必要はない。
お前には非常に大きな信頼があるんだ、
お前は水の上を歩けるさ。」 

…そして彼は(水の上を)歩いた。

導師masterがミラレパを見たのはそれが初めてだった。

導師は、
ミラレパが谷にジャンプしたことを聞いてなかったし、
ミラレパが燃えている家の中に入ったことを聞いてなかった、
導師は気づかなかった。

しかし、この時彼は川岸にいた、
そして、ミラレパが水の上を歩くのを見た、
そして、彼は言った、

「お前はなにをやっている。
それは不可能だ!」 

そして、ミラレパは言った、

「まったく不可能ではありません!
私はあなたのパワーによってこれをしているのですよ、
導師master。」

さあ、導師は考えた、

「もし私の名前とパワーで、無知で、愚かなこの男にこれができるなら…
自分で試してみたことは一度もなかった。」

…そこで導師は試してみた。

導師は溺れた。
それ以来、
彼の消息はまったく聞かれなかった。


光明を得ていない導師masterであっても、
あなたが深い信頼の中にいたら、
あなたの生に革命をもたらすことができる。

そして、その逆もまた真実だ、

光明を得た導師masterであっても、
どんな役にも立たないかもしれない。

それはあなた次第だ
それは完全にあなた次第だ。



commentary(解説)…

with deep trust
whatever any condition
essence of trust that will transform your life.



osho…

Remember it: 
if you can't recognize enlightened people when you come across them, 
don't throw the responsibility on them. 

Watch inside -- are you ready yet? 

It has happened that people who were not enlightened have sometimes helped people to become enlightened. 
If the desire of the seeker is tremendous, 
then even an unenlightened Master is enough.


It is reported about one great mystic, Milarepa:

When he went to his Master in Tibet, he was so humble, so pure, so authentic, that other disciples became jealous of him. 

It was certain that he would be the successor. 

And of course there was politics, so they tried to kill him.


One day they said to him, 

"If you really believe in the Master, can you jump from the hill? If you really believe, if the trust is there, then nothing -- no harm is going to happen." 

And Milarepa jumped without even hesitating for a single moment. 

They rushed down because it was almost a three-thousand-foot deep valley. They went down to find his scattered bones, but he was sitting there in a lotus posture, very happy, tremendously happy.

He opened his eyes and said, 

"You are right; trust saves."


They thought it must be some coincidence, so when the house was on fire one day, they told him, 

"If you love your Master and you trust, you can go in." 

He rushed in to save the woman and the child who were left inside. 

He came, and the fire was too great and they were hoping that he would die, but he was not burned at all. 

And he became more and more radiant, because the trust…


One day they were going somewhere, they were to cross a river, and they told him, 

"You need not go in the boat. You have such great trust; you can walk on the river" 

-- and he walked.

That was the first time the Master saw him. 

He was not aware that 
he had been told to jump into the valley and 
told to go into the burning house; 
he was not aware. 

But that time he was there on the bank and he saw him walking, and he said, 

"What are you doing? It is impossible!"

And Milarepa said, 

"Not impossible at all! I am doing it by your power, sir."

Now the Master thought, 

"If my name and my power can do this to this ignorant, stupid man.... I have never tried it myself"

…so he tried. 

He drowned. 
Nothing has been heard about him after that.


Even an unenlightened Master, 
with deep trust, 
can revolutionize your life. 

And the reverse is also true: 

even an enlightened Master may not be of any help. 

It depends on you, 
it depends totally on you.




from osho talks
oshoの講話より

The Beloved, Vol 1

Talks on the Baul Mystics

Talks given from 21/06/76 am to 30/06/76 am English Discourse series

Chapter #4

Chapter title: The only criterion is your thirst 

24 June 1976 am in Buddha Hall

英語のダウンロードpdfはこちら。





sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 meditation & love




beloved osho
prem mashal

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Dropping Knowledge

Dropping Knowledge

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Dropping Knowledge / 知識を落とす

Naropa's haunting vision

ナロパの忘れられないヴィジョン




commentary(解説)…

あなたは偽りを落として、
借りものの知識を落として、
自分の知恵のなかに、
自分の理解のなかに
入ってゆく用意ができています。




osho…

私がずっと愛するある逸話をあなた方に話すとしよう。

それはティロパの弟子である、
シッダ・ナロパについてだ。

それはナロパが彼の導師masterティロパと出会う前の出来事だ。

それはナロパ自身が光明enlightenmentを得る前の出来事だ。

そしてそれは全ての探求者に必要なものであり、
全ての人々に起こることだ。

だから、それがナロパに起こったか起こってないかがポイントではない…

それは旅では必要なことだ。

その出来事がない限り、
光明enlightenmentは可能ではない。

そう…私は歴史的に見てそれが起こるか起こらないかは知らない。

心理的には私は確かだ、まったく確かだ、
それは起こる、
なぜならば、
それを除いては誰もさらに超越して行くことができないからだ。


ナロパは偉大な学者、偉大な神学者だった。

この物語は彼が一流の大学の副学長で、
彼自身の弟子が一万人いたと言われている。

ある日、彼は自分の弟子たちに囲まれて坐っていた。彼の周りじゅうに、非常に古い、めったに見られない何千もの教典がばらまかれていた。 

突然彼は眠りに落ちた、きっと疲れていたのだろう、彼はヴィジョンを見た。私はそれをヴィジョンと呼ぶ、夢ではない、なぜならば、それは普通の夢ではないからだ。それはとても意味が深いので、夢と呼ぶにはふさわしくなかった…それはヴィジョンだった。


彼はとてもとても年を取った、醜い、恐ろしい女性、醜い老婆を見た。彼女の醜さがあまりにもすさまじかったので、彼は自分の夢の中で震え始めた…。それは吐き気を催させ彼は逃げたかった…
しかし、どこへ逃げる、どこに行けばいい?
彼はその醜い老婆に催眠術をかけられるように捕まってしまった。彼女の体は吐き気を催すが、彼女の瞳は磁石のようだった。

彼女はたずねた。

「ナロパ、お前はなにをやっている?」

彼は言った。

「学んでいるのだ。」

「なにを学んでいる?」

その年老いた女性はたずねた。

彼は言った。

「哲学、宗教、認識論、言語学、論理学…」

その年老いた女性はまたたずねた。

「それらを理解しているのか?」

ナロパは言った。

「…そうだ、理解している。」 

その女性はもう一度たずねた。

「お前は言葉を理解したのか、
それとも感覚を理解したのか?」 

これははじめて尋ねられたものだった。

ナロパの人生の中では幾千もの質問が尋ねられた。彼は偉大な教師だ…幾千もの生徒たちがいつも尋ねていた、何でも尋ねたがった…しかし、誰もこれを尋ねなかった、

言葉を理解しているのか、
感覚を理解しているのか。


彼女の眼は非常に深く見入る力をもっていたので、嘘をつくのは不可能だった…彼女は見つけるだろう。

彼女の目を前にして、ナロパは自分が完全に 裸なのを、見透かされているのを感じた。

それらの目はとても深い彼の本質まで届いた。

それは嘘をつくのは不可能だった。

彼は誰へともなく言った。

「もちろん、感覚を理解しています。」

しかし、この女性に対してだ。
この恐ろしい見た目の女、
彼は嘘をつくことができなかった、
彼は真実を言わなくてはならなかった。

「はい、言葉を理解しています。」

その女性はとても幸せだった。
彼女は踊り始め、笑い始めた。

その女性がとても幸せになったのを考えてみてごらん…

そして、彼女の幸せが彼女の醜さを変容した、
彼女はとても醜くなくなった、
微妙な美しさが彼女の存在から出て来はじめていた。

ナロパは考えた、

「私は彼女をとても幸せにした。
もう少し彼女を幸せにしてあげてもよいのではないか?」

彼は言った、

「それから、私は感覚も理解しています。」 

その女性は笑うのをやめた。
踊るのをやめた。
彼女はすすり泣き、泣き叫び始めた、
すると彼女の全ての醜さが戻った…何千倍にもなって。

ナロパは言った、

「なぜなのです?なぜあなたは泣き叫び、泣いているのですか?
そして、なぜあなたは笑い踊っていたのです?」

その女性は言った、

「踊ったり笑ったり幸せだったのは、
お前のような偉大な学者が嘘をつかなかったからだ。

だが今、泣いて泣き叫んでいるのは、
お前が私に嘘をついたからだ。

私は知っている…
そして、あなたは知っている…

あなたは感覚を理解していないことを。」


ヴィジョンは消えた、
そしてナロパは変容された。

彼は大学を去った。
生涯二度と再び彼は教典に触れなかった。

ナロパは完全に無知になった、

彼は理解した…
言葉だけを理解することは
人を愚かにすることを、
そして、
言葉だけを理解することは
醜い年老いた老婆になることを。

知識は醜い。

そして、もしあなたが学者に近づいたなら彼らが悪臭であることを見つけるだろう…知識の悪臭…死の悪臭。


知恵の人、理解の人には新鮮さがある。

生の香りがある…

学者、知識の人とはまったく違った香りだ。


感覚を理解する人は美しくなる。 

言葉だけを理解する人は醜くなる。


そしてその女性は外側の誰でもなかった、
その女性はナロパの内側にあるものが映し出されただけだった。

それはナロパ自身の存在だった、
知識を通して醜くなった存在だった。

これだけで、たくさん理解した、

「私は感覚を理解していない。」

そして、醜さはすぐに美しい現象へと変容していく。

ナロパは探究に入った、
なぜならば、
今や経典は役に立たない。

今や生きた導師marterが必要となった。

その後長い旅をしてナロパは導師ティロパと出くわした。



Dropping Knowledge



commentary…

Drop your lie,
Drop borrowed knowledge,
you are able to ready to go into
your wisdom and understanding.



osho…

I will tell you one anecdote I have always loved. 

It is about Siddha Naropa, the disciple of Tilopa. 

It happened before Naropa found his Master, Tilopa. 
It happened before he himself became enlightened. 

And it is a must for every seeker; it has to happen to everybody. 

So whether it happened to Naropa or not is not the point -- it is a must on the journey. Unless it happens, enlightenment is not possible. So I don't know historically whether it happened or not. Psychologically I am certain, absolutely certain, it happened because nobody can move without it further into the beyond.

Naropa was a great scholar, a great pundit. 

There are stories that he was a great vice-chancellor of a great university -- ten thousand disciples of his own. 

One day he was sitting surrounded by his disciples. All around him were scattered thousands of scriptures -- ancient, very ancient, rare. 

Suddenly he fell asleep, must have been tired, and he was a vision. I call it a vision, not a dream, because it is no ordinary dream. It is so significant, to call it a dream won't be just; it was a vision.

He saw a very, very old, ugly, horrible woman -- a hag. Her ugliness was so much that he started trembling in his sleep. It was so nauseating he wanted to escape -- but where to escape, where so go? He was caught, as if hypnotized by the old hag. Her body was nauseating, but her eyes were like magnets.

She asked, 

"Naropa, what are you doing?"

And he said, 

"I am studying."

"What are you studying?" 

asked the old woman.

He said, 

"Philosophy, religion, epistemology, language, grammar, logic." 

The old woman asked again, 

"Do you understand them?"

Naropa said, 

"Of... Yes, I understand them."

The woman asked again, 

"Do you understand the word, or the sense?"

This was asked for the first time. 
Thousands of questions had been asked to Naropa in his life. He was a great teacher -- thousands of students always asking, inquiring -- but nobody had asked this: whether you understand the word, or the sense. 

And the woman's eyes were so penetrating that it was impossible to lie -- she will find out. Before her eyes Naropa felt completely naked, nude, transparent. Those eyes were going to the very depth of his being. and it was impossible to lie. To anybody else he would have said. 

"Of course, I understand the sense," 

but to this woman. this horrible-looking woman, he couldn't speak the lie; he had to say the truth.
He said, 

"Yes, I understand the words."

The woman was very happy. She started dancing and laughing.

Thinking that the woman has become so happy.... And because of her happiness her ugliness was transformed; she was no longer so ugly; a subtle beauty started coming out of her being. Thinking 

"I have made her so happy. Why not make her a little more happy?" 

he said, 

"And yes, I understand the sense also."

The woman stopped laughing. 
She stopped dancing. 
She started crying and weeping, and all her ugliness was back -- a thousandfold more.
Naropa said, 

"Why? Why are you weeping and crying? And why were you laughing and dancing before?"

The woman said, 

"I was dancing and laughing and was happy because a great scholar like you didn't lie. But now I am crying and weeping because you have lied to me. I know -- and you know -- that you don't understand the sense."

The vision disappeared and Naropa was transformed. 

He escaped from the university. 
He never again touched a scripture in his life. 

He became completely ignorant: he understood that just by understanding the word, whom are you befooling; and just by understanding the word you have become an ugly old hag.

Knowledge is ugly. 

And if you go near scholars you will find them stinking -- of knowledge -- dead.

A man of wisdom, a man of understanding, has a freshness about him, a fragrant life -- totally different from a pundit from a man of knowledge. 

One who understands the sense becomes beautiful; 
one who only understands the word becomes ugly. 


And the woman was nobody outside: 
it was just a projection of the inner part. 

It was Naropa's own being, through knowledge became ugly. 

Just this much understanding that 

"I don't understand the sense," 

and the ugliness was going to be transformed immediately into a beautiful phenomenon.

Naropa went in search, 
because now scriptures won't help. 

Now a living Master is needed. 

Then after long journeys he came across Tilopa. 




from osho talks
oshoの講話より

from osho transformation tarot
osho transformation タロットより

Yoga: The Alpha and the Omega, Vol 5

Discourses on the Yoga Sutras of Patanjali

Talks given from 01/07/75 am to 10/07/75 am

English Discourse series  10 Chapters

CHAPTER3
Chapter title: Awareness, not knowledge 

3 July 1975 am in Buddha Hall

英語のダウンロードpdfはこちら。




sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 meditation & love




beloved osho
prem mashal

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Questioning

Questioning
 
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Questioning / 質問
 
The Professor And His Thirst For Answers
 
教授と彼の答えへの渇望
 
 
 
 
commentary(解説)…
 
積極的に答えを探し求めるのをやめるときです。
 
自分自身を空にして、
全存在を受け入れるようになりましょう。
 
ただリラックスして待ち、楽しむことです。
 
 
 
 
osho…
 
禅の導師南院がある哲学の教授の話を聴いていた。
 
南院は客用の茶碗に茶を注いだ。
彼は注ぎ続けた。
教授はもうこれ以上自分自身を抑えきれなくなるまでお茶が茶碗から溢れ出るのを見ていた。
 
「おやめください!
お茶が茶碗から溢れ出ています、
それ以上は入れません。」
 
南院は言った。
 
「この茶碗のようだ、
 
あなたはあなた自身の意見と推測でいっぱいだ。
 
あなたが最初にあなたの茶碗を空っぽにしない限り、
どうやってあなたに禅を見せることができよう。」
 
 
 
あなたは南院よりももっと危険な人物のところに来た。
 
なぜなら、私とだと、空の茶碗ではだめだからだ。
 
茶碗は完全に壊されなければならない。 
 
 
空であっても、もしあなたがそこにいたら、あなたはいっぱいだ。
 
空であっても、あなたはいっぱいだ。
 
 
もしあなたが空っぽと感じるならば、
あなたはまったく空っぽではない、
あなたはいる。
 
ただ名前が変わっただけだ、
今ではあなたはあなた自身を空っぽと呼ぶ。
 
 
茶碗はまったくだめだ、
それは完全に壊されなければならない。
 
 
あなたがいないときにのみ、
あなたの中に茶を注ぎ入れることができる。
 
あなたがいないときにのみ、
実際には、あなたの中に茶を注ぎ入れる必要などない。
 
あなたがいないとき、
全存在があなたに注ぎはじめる、
全存在があらゆる次元から、
あらゆる方向から注ぎ始める。
 
あなたがいないとき、神である。
 
 
 
 
この話は美しい。
 
この哲学の教授は南院のところへやって来た。
 
教授は間違った理由でやってきたに違いない、彼は幾つかの答えを受け取りに来たに違いない。
 
質問でいっぱいになっている人々はいつも答えを探している。
 
そして、南院は答えを与えることはできない。
 
質問と答えを心配することはバカげたことだ。
 
南院は新しいマインドをあなたに与えることができる、
南院は新しい存在をあなたに与えることができる、
南院は新しい存在に質問が生じないことを与えることができる、
 
しかし、
 
南院はどんな特定の質問にも答えることに興味はない。
 
南院は答えることに興味はない。
私もそうだ。
 
全ての質問、全ての答えは役に立たない、
ただエネルギーを無駄にするだけだ。
 
 
哲学はたくさんの質問とたくさんの答えがある…無数の。
 
宗教はたった一つの答えしかない、
どんな質問や答えであっても同じままだ。
 
 
ゴータマ・ブッダは言う、
 
海の水をどの場所からでも味わってごらん、
その味は同じままだ、
それは塩辛い。
 
 
私も同じように答えるだろう、
なぜならば、
私はたった一つの答えしかないからだ。
 
しかし、その一つの答えはマスターキー(鍵)ように全てのドアを開ける。
 
それは特定のドアの錠の心配をしなくてもいい、どんな錠であってもそのマスターキー(鍵)で開くからだ。
 
 
宗教はたった一つの答えしかない、
その答えとは瞑想だ。
 
 
そして瞑想の意味とは
あなた自身を空っぽにするということだ。
 
 
教授は南院の小屋に辿りつくまでに長く歩いて来たので疲れているはずだ。
そして南院は言った、
 
「少し待ちなさい。」
 
教授は急いでいるはずだ。
マインド(思考)はいつも急いでいる、
マインド(思考)は即座の実現を探している。
 
待つことは、
マインド(思考)にはとても難しいことだ、
ほとんど不可能だ。
 
南院は言った、
 
「お茶を用意しよう。あなたは疲れているようだ。
少し待ちなさい、少し休みなさい、
そして一杯のお茶を飲みなさい。
それから私達は論じることができる。」
 
南院はお湯を沸かしお茶の用意をはじめた。
 
しかし、南院は教授を見ていたに違いない。
 
お湯だけが沸いているのではなかった、
教授も心の中が沸き立っていた。
 
教授は準備ができていたのだろう…
何を尋ねようか、どうやって尋ねようか、どこからはじめようか。彼は深いモノローグの中にいたに違いない。
 
南院は微笑みながら見ていたに違いない…
この教授はとてもいっぱいだ、とてもたくさんだ、だから、教授の中には何にも染み込むことができないと。
 
答えは与えることができない、
なぜならば、
答えを受け取る者が誰もいないからだ。
 
お客さんは部屋がなければ、その家に入ることができない。
 
南院は教授のお客になりたかったのだろう。
 
それから、南院は茶碗にお茶を注ぎ入れた。
 
教授は不安になった、
なぜなら、
南院はお茶を注ぎ入れ続けているからだ。
お茶は溢れ出している、
もうすぐお茶は床にこぼれる。
 
それで教授は言った、
 
「待ってください!
何をやっているのですか?
さあ、この茶碗はこれ以上お茶を受け入れることができません、あと一滴でさえも。
あなたは狂ったのですか?
何をやっているのですか?」
 
南院は言った、
 
「あなたはこれと同じ状況だ。
 
あなたは観測することにとても気をつけて、
茶碗がいっぱいになり、
それ以上茶碗がお茶を受け入れることができないことに気づいている、
 
 
なぜ、あなたはあなた自身についてそのように『気づく』ことがないのか?
 
 
あなたは意見や哲学や学説や聖典が溢れ出している。
 
あなたはすでにとてもたくさんを知っている、
私はあなたに何も与えることができない。
 
あなたの旅は無駄になった。
 
あなたは私のところに来る前に、
あなたの茶碗を空っぽにしなくてはならない、
その後、
私はあなたに注ぐことができる。」
 
 
しかし、私はあなたに言う、
あなたはもっと危険な人物のところへ来た。
 
ダメだ、
空っぽの茶碗では認めないよ、
なぜならば、
もし茶碗があったら
あなたは茶碗を満たそうとするからだ。
 
ダメだ、
私があなた方をここに招待したのは、
茶碗を完全に壊すためだ、
そうだ、
もしあなたが茶碗を満たそうとしたくても、
それは満たすことはできない。
 
 
空っぽの意味は、
茶碗は残ってはいないということだ。
 
 
全ての壁が消え去り、
床は下に落ちている、
あなたは深淵となる。
 
そうして、私はあなたの中に私自身を注ぐことができる。
 
もしあなたが認めるならば、それはもっと可能になる。
 
しかし、認めることは努力を要する、
なぜならば、
認めるということは、
あなたは明け渡しをしなくてはならないからだ。
 
 
空っぽの意味とは明け渡しだ。
 
 
南院は教授に言った、
 
頭を下げて、
明け渡して、
あなたの頭の中を空っぽにして。
 
私は注ぐ準備ができている。
 
 
教授は一つの質問もしてはいないが、
南院は答えを与えた、
なぜならば、
本当のところ質問を尋ねる必要はないからだ。
 
質問は同じままだからだ。
 
あなたが私に尋ねても尋ねなくても、
私はその質問を知っている。
 
あなた方はたくさんここにいるが、
私はその質問を知っている、
なぜならば
深いところでその質問は1つだからだ、
 
不安、
苦痛、
無意味、
この全ての生の無駄なこと…
あなたは誰なのかを知らない。
 
しかし、あなたはいっぱいだ。
この茶碗を壊させてくれ。
 
もし、あなたが死ぬ準備があるのなら、
あなたは新しい生を持つことができる、
あなたは生まれ変わることができる。
 
茶碗を空っぽにしなさい…
それが南院の言ったことだ。
 
その意味はマインド(思考)を空っぽにするということだ。
 
エゴ(欲)はそこにある、溢れ出している、
エゴが溢れ出すと何にも終わることができない。
 
全ての存在があなたの周りにあるが、
何にも終わることができない。
 
あなたがそのような要塞をつくっていると、
神はどこからもあなたの中に入ってこれない。
 
茶碗を空っぽにしなさい。
 
むしろ、茶碗を完全に手放すといい。
 
 
 
Questioning
 
 
 
commentary…
 
Stop to search of answers. 
 
Empty yourself, and receive whole existing.
 
Just relax and wait, then enjoy.
 
 
 
 
osho…
 
BELOVED MASTER,
 
THE JAPANESE MASTER NAN-IN GAVE AUDIENCE
TO A PROFESSOR OF PHILOSOPHY.
 
SERVING TEA, NAN-IN FILLED HIS VISITOR'S CUP,
AND KEPT POURING.
THE PROFESSOR WATCHED THE OVERFLOW
UNTIL HE COULD RESTRAIN HIMSELF NO LONGER:
 
STOP!
 
THE CUP IS OVERFULL, NO MORE WILL GO IN.
 
NAN-IN SAID:
 
LIKE THIS CUP,
YOU ARE FULL OF YOUR OWN OPINIONS AND SPECULATIONS. HOW CAN I SHOW YOU ZEN
UNLESS YOU FIRST EMPTY YOUR CUP?
 
 
You have come to an even more dangerous person than Nan-in, because an empty cup won't do; the cup has to be broken completely. 
 
 
Even empty, if you are there, then you are full. 
 
Even emptiness fills you. 
 
 
If you feel that you are empty you are not empty at all, you are there. 
 
Only the name has changed: now you call yourself emptiness. 
 
 
The cup won't do at all; 
it has to be broken completely. 
 
 
Only when you are not can the tea be poured into you. 
 
Only when you are not is there no need really to pour the tea into you. 
 
When you are not 
the whole existence begins pouring, 
the whole existence becomes a shower from every dimension, from every direction. 
 
When you are not, the divine is.
 
 
 
 
The story is beautiful.
 
This professor of philosophy came to Nan-in. 
 
He must have come for wrong reasons: he must have come to receive some answers. 
 
Those people who are filled with questions are always in search of answers. 
 
And Nan-in could not give an answer. 
 
It is foolish to be concerned with questions and answers. 
 
Nan-in could give you a new mind, 
Nan-in could give you a new being, 
Nan-in could give you a new existence in which no questions arise, 
 
but Nan-in was not interested in answering any particular questions.
 
He was not interested in giving answers. Neither am I.
 
All questions, all answers, are useless, just a wastage of. 
 
Philosophy has many questions, many answers -- millions. 
 
Religion has only one answer; whatsoever the question the answer remains the same. 
 
Buddha used to say: You taste sea water from anywhere, the taste remains the same, the saltiness of it.
 
I will answer the same because I have got only one answer. 
 
But that one answer is like a master key; it opens all doors. It is not concerned with any particular lock -- any lock and the key opens it. 
 
Religion has only one answer 
and that answer is meditation. 
 
And meditation means how to empty yourself.
 
 
The professor must have been tired, walking long, when he reached Nan-in's cottage. 
 
And Nan-in said, 
 
"Wait a little." 
 
He must have been in a hurry. 
 
Mind is always in a hurry,
and mind is always in search of instantaneous realizations. 
 
To wait, for the mind, is very difficult, almost impossible. 
 
Nan-in said, 
 
"I will prepare tea for you. You look tired. Wait a little, rest a little, and have a cup of tea. And then we can discuss."
 
Nan-in boiled the water and started preparing the tea. 
 
But he must have been watching the professor. 
 
Not only was the water boiling, the professor was also boiling within. 
 
The professor must have been getting ready -- what to ask, how to ask, from where to begin. He must have been in a deep monologue. 
 
Nan-in must have been smiling and watching: This man is too full, so much so that nothing can penetrate into him. 
 
The answer cannot be given because there is no one to receive it. 
 
The guest cannot enter into the house-there is no room. 
 
Nan-in must have wanted to become a guest in this professor.
 
 
Then Nan-in poured tea into the cup. The professor came to be uneasy because he was continuously pouring tea. It was overflowing; soon it would be going out on the floor. 
 
Then the professor said, 
 
"Stop! What are you doing? 
Now this cup cannot hold any more tea, not even a single drop. Are you mad? What are you doing?"
 
Nan-in said, 
 
"The same is the case with you. You are so alert to observe and become aware that the cup is full and cannot hold any more, why are you not so aware about your own self? 
 
You are overflowing with opinions, philosophies, doctrines, scriptures. 
 
You know too much already; I cannot give you anything. 
 
You have traveled in vain. 
 
Before coming to me you should have emptied your cup, then I could pour something into it." 
 
But I tell you, you have come to a more dangerous person. 
 
No, an empty cup I won't allow, because if the cup is there you will fill it. 
 
No, I have invited you to be here to break down this cup completely, so that even if you want to you cannot fill it.
 
Emptiness means there is no cup left.
 
All the walls have disappeared, the bottom has fallen down; you have become an abyss. Then I can pour myself into you.
 
Much is possible, if you allow. 
 
But to allow is arduous, because to allow you will have to surrender. 
 
Emptiness means surrender.
 
Nan-in was saying to that professor: 
 
Bow down, 
surrender, 
empty your head. 
 
I am ready to pour. 
 
That professor had not even asked the question and Nan-in had given the answer, because really there is no need to ask the question. The question remains the same.
 
You ask me or not, I know what the question is. So many of you are here but I know the question, because deep down the question is one: 
 
the anxiety, 
the anguish, 
the meaninglessness, 
the futility of this whole life - not knowing who you are. 
 
But you are filled. 
Allow me to break this cup. 
 
If you are ready to die you can have a new life, you can be reborn.
 
Empty the cup- that's what Nan-in said. 
 
That means empty the mind. 
 
Ego is there, overflowing and when ego is overflowing nothing can be done. 
 
The whole existence is around you but nothing can be done. 
 
From nowhere can the divine penetrate you, you have created such a citadel. 
 
Empty the cup. 
 
Rather, throw the cup completely. 
 
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
from osho transformation tarot
osho transformation タロットより
 
A Bird on the Wing
 
Talks on Zen.
 
Talks given from 10/06/74 am to 20/06/74 am, English Discourse series, 9 Chapters, Year published : June 1976
 
CHAPTER1. EMPTY YOUR CUP
 
10 June 1974 am in Buddha Hall
 
英語のダウンロードpdfはこちら。
 
 
 
 
 
sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
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