osho tarot

osho transformation tarot

Imitation

Imitation
 
f:id:premmashal:20170705192959j:image
 
Imitation / 真似
 
Gutei's finger pointing to the one
 
倶胝(ぐてい)の1つ立てた指
 
 
 
commentary(解説)…
 
自分自身に真実でありなさい。
Be true to yourself.
 
自分は他人を真似していないかどうか見なさい。
真似によっては、
あなたの中にある真正さの種は死んだままです。
 
覚醒の剣を取り、
それがどんなに苦痛であるように見えようとも、
この真似を完全に断ち切りなさい。
 
その苦しみは深くまで入らなければなりません。
でも、そのショックを通して、
あなたの自己、
あなた自身の真正さが現れます。
 
 
 
osho…
 
禅の導師 master 倶胝は
禅について問を説くとき
つねに指を立てる習慣があった。
 
とても若い弟子 disciple が
倶胝の真似をし始めた、
 
導師 master が何について説いたか
人に尋ねられると
少年は指を立てた。
 
これは倶胝の耳にも入った、
 
ある日、倶胝は少年が真似している場に現れ
少年を捕まえ、ナイフを取りだし、
その指を切って放り投げた。
 
少年が泣きわめいて逃げ出すと
倶胝は叫んだ、
 
「止まれ!」
 
少年は立ち止まり、振り向いて、
自分の導師 master を涙をとおして見た。
 
倶胝は自分の指を立てた。
 
少年は指を立てようとした、
 
そして、指がないことに気づき
彼は頭を垂れた。
 
その瞬間
彼は光明 enlightenment を得た。
 
 
 
 
 
これはとても奇妙な話だ、
 
そして、誤解される可能性がある、
 
なぜなら
 
生の中で最も理解するのに難しいことは
光明 enlightenment を得た人のふるまいだからだ。
 
 
あなたにはあなた自身の価値観があり
そして
あなたはつねにその価値観をとおして
ものごとを見る。
 
 
光明 enlightenment を得た人は
完全に違う次元に在る、
価値観なしに生きる。
 
どんな基準もなく生き、
どんな徳性もなく生き、
エゴ(欲・自我)のないまま
単純(シンプル)に生きる。
 
なぜなら、
 
全ての価値観というのは、 
エゴ(欲・自我)に属するからだ。
 
 
 
光明 enlightenment を得た人は、
単純(シンプル)に生きる。
 
 
 
彼は自分の生を操作しない、
彼は漂う白い雲だ。
 
行くところはなく
達成することもない。
 
彼にとっては、
良いことも悪いこともない。
 
どんな神も知らず、
どんな悪魔も知らない。
 
彼が知っているのは生だけだ、
そして
生の中に全面性(トータル)に在ることは美しい。
 
 
 
 
神もまた醜い
なぜなら
それは「1部分」であって
『全体』ではないからだ。
 
悪魔もまた醜い
なぜなら
それもまた「1部分」であって
『全体』ではないからだ。
 
 
神は生きてはおらず、
悪魔も死んでいる、
 
なぜなら
生は2つのリズムの間に存在するからだ…
 
良いものと悪いもの、
神と悪魔。
 
 
生は2つの極の間に存在する。
 
 
生は1つの極だけでは存在できない。
 
 
それらは
生という流れる川の両岸にある2つの土手だ。
 
 
光明 enlightenment を得た人は
これを知った。
 
 
彼は
どんなことにも
賛成しないし、
反対もしない。
 
彼は
彼の側からどんな判断もせず
瞬間から瞬間に応じる。
 
 
だからこそ、とても難しい。
光明 enlightenment を得た人はいつも
いくぶんか狂人のように見える。
 
 
だからまずはじめに理解すべきは、
あなたの価値観をとおして
光明 enlightenment を得た人を評価してはならないということだ…
非常に難しい、
なぜなら
他になにができる?
 
 
 
聞いたことがある…
 
あるとき、とても優れた画家が
友人の医者に仕上がったばかりの絵の1つを
見に来てほしいと頼んだ。
 
画家はこれまで彼が努力したなかで
これがもっとも偉大な作品で、
自分の芸術の頂点だと思っていた。
それで、当然のことながら、
友人の医者にそれを見に来て欲しくなった。
 
医者はこちらからあちらからと
非常に綿密に鑑賞していた。十分が過ぎた。
芸術家は少し気がかりになって医者に尋ねた。
 
「どうしたんだ?
この絵をどう思っているんだ?」
 
医者は言った、
 
「私には肺炎のように見える!」
 
 
 
これがみんなに起きていることだ、
なぜなら
医者には独自の態度、
ものの見方があるからだ。
 
彼は絵を見た
…彼は自分流の決まりきった仕方以外には、
ものを見ることができない、
それでなくては見ることができない…
彼は診断した。
 
絵にはどんな診断もいらない、
彼は取り逃がした。
 
その美しいものは肺炎になった。
 
 
これがマインド(思考)の働きだ。
 
 
あなたがものを見るとき、
マインド(思考)の中に入れ
それに色づけする。
 
 
 
光明 enlightenment を得た人に
それをしてはならない、
 
なぜなら
 
光明 enlightenment を得た人にとっては
問題はない
しかし
あなたがその美しさを見る機会を逃すからだ。
 
 
 
 
第二に、
光明 enlightenment を得た人は
『中心』から行動する、
けっして「表面」からではない。
 
 
あなたはいつも「表面」で行動する、
あなたは「表面」、「周辺」に生きている。
 
あなたにとっては「周辺」が1番重要だ。
 
 
 
あなたは『魂(源泉)』を殺し、
肉体を救う。
 
 
 
光明 enlightenment を得た人は、
肉体を犠牲にできる、
 
しかし
 
『魂(源泉)』を失うことは許さない。
 
 
 
彼には死ぬ用意がある
 
…どんな瞬間にも彼には死ぬ用意がある、
それは問題ではない…
 
しかし
 
彼の『中心』
まさにその『実存(being)』の核を失うつもりはない。
 
 
 
光明 enlightenment を得た人にとって、
肉体はただの手段だ。
 
 
 
だから必要なら、
光明 enlightenment を得た人はあなたに言うだろう
 
「肉体を去りなさい、
だが内なる『実存(being)』を去ってはならない。」
 
このようにして、
すべてのタパスチャリヤ、
すべての苦行が生まれる。
 
「周辺」は『中心』のためであれば、
犠牲になるものだ。
 
たとえ、頭を切り落とす必要があっても
…それがあなたの助けになるなら、
頭とともにあなたのエゴ(欲・自我)が落ちるなら…
光明 enlightenment を得た人は、
頭を落とせ、切り落とせと言うだろう。
 
「エゴ(欲・自我)の助けになるなら
その頭を持っていてはならない、
なぜなら
意味のないことのために
あなたがすべてを失っている。」
 
 
これを覚えておかなくてはならない、
 
 
あなたが『中心』において生きるとき、
そのものの見方は完全にちがっている。
 
 
そのとき
死ぬ者はいない、
誰も死ぬことはできない…
死は不可能だ。
 
 
もし「周辺」で生きれば、
誰であれみな死ぬ、
死はすべての人の最終的な結果だ、
永遠の命はどこにも存在しない。
 
 
 
ギータの中で
クリシュナがアルジュナに語っているのは実のところ
『中心』が「周辺」に語っているのだ。
 
 
「周辺」に生きている、
彼は「肉体」のことを思っている。
彼は『魂(源泉)』について何も知らない。
 
 
そしてクリシュナは
『中心』から語っている、
 
彼は言う、
 
「これらの「肉体」について気にかけてはいけない。
それらは何度も死んできたし、
そして何度も死ぬだろう。
 
死はなんでもないが『変容』だ、
服を抜いだり、
古い家を出て、
新しい家に入るようなものだ。
 
この「肉体」はなんでもない、
だからそれを気にかけてはならない。
 
『内側』を見なさい。」
 
 
しかし、アルジュナ
自分の『内側』を見たことがなければ、
他人の『内側』をどうやって見れるだろう?
 
 
これを覚えておきなさい、
 
 
この禅の導師 master 倶胝、
彼はそのクリシュナだ。
 
彼は『中心』から生き
それに応じてふるまう。
 
そしてこの事件は
「周辺」に生きている弟子 disciple に起こる。
 
 
しかし、倶胝があなたの指を切ることはない、
覚えておきなさい。
 
 
その弟子 disciple はその価値があった、
彼はそれを得るに値していた…
そういう場合のみ
導師 master はその限度までやる。
 
その限度まで行って
その弟子 disciple は学ばなくてはならなかった、
それを受けるに値していたのだ、
そうでなければ
倶胝はそこまでやらない。
 
倶胝のこの弟子 disciple ほどの価値ではない、
 
なぜなら
 
クリシュナは彼に「語った(talk)」からだ…
倶胝は『行動(do)』した。
 
 
この違いを覚えておくように。
 
 
導師 master は
あなたが受けるに値するときだけ
それをするために
あなたのもとへ『やってくる(do)』、
 
そうでないときは
彼はあなたに「語る(talk)」。
 
 
なされること(doing)があるのは
あなたに用意のあるときだけ、
 
逃すことのできない
その瞬間が非常に近いときだけだ、
 
言うことはできなく(nothing can be said)
することだけができる。(only something can be done)
 
なぜなら
 
もし話せば、時間が必要になる、
 
もし話せば、相手が話したそれを理解しなくてはならない。
 
 
即時に、瞬間に
なされなければならない。
 
 
導師 master は
あなたが崖っぷちにいるのを見たときだけ
何かする、
 
さあこのとき
語ることは助けにならない、
彼はここであなたを押さなくてはならない。
 
さあこのとき
あなたはちょうど扉の前にいる、
 
一瞬過ぎには
扉を逃してしまうかもしれない、
 
そして何生かかっても
もう2度と
扉には辿りつけないかもしれない。
 
 
生は複雑だ。
 
 
あなたが扉の近くに在ることは、稀だ。
 
 
そしてもし導師 master が
 
「見なさい、扉はここだ!」
 
と言って説明しはじめ、
 
あなたが理解する頃には、
扉はもうそこにない。
 
 
生は絶え間ない動きだ。
 
 
導師は、何かをしなくてはならない。
 
 
あなたを殺すことが助けになると思えば、
彼はあなたを殺すだろう。
 
だからこそ
明け渡し surrender が必要なのだ。
 
 
 
明け渡し surrender は簡単ではない、
なぜなら
明け渡し surrender とは、
導師 master にこう言うことだからだ、
 
「今から、わたしの生死はあなたのものです。」
 
明け渡し surrender とは
 
「わたしはもしあなたが『死ね!』と言うなら死にます。
なぜとは問いません。」
 
という意味だ。
 
なぜと問うなら、
明け渡し surrender はない、
『信頼』はない。
 
 
 
そして古代において、
多くの人々が光明 enlightenment を得ることができたのは
彼らが明け渡し surrender ができたからだ。
 
 
『信頼』はまさにその大気にあり、
誠意はいたるところにあった、
『信頼』はあらゆるところに花開いていた。
 
『信頼』の人と出会わない日はなかった。
 
『信頼』の人を見た瞬間、
あなたは嫉妬を感じた…
彼はそれほど美しい人だった。
 
 
だが今日では
『信頼』の人に出会うのは
ほとんど不可能になってしまった。
 
 
その美しさは消えた。
 
 
あなたは「疑り」深い人、
無神論者、
ノーと言う人に出会う、
彼らは醜い
だが、そこら中にいる。
 
 
そして少しずつ、
あなたもまた、
「疑い」を食べはじめる。
 
 
母親が
あなたにミルクを与えるまさに第1日目、
あなたは「疑い」を餌として与えられる。
 
科学的方法はすべて
「疑い」に基づいている。
 
あなたは無神論的で「疑り」深くなければならない、
そうやって初めて、科学が働きかけられる。
 
 
宗教は、まったく反対の道に働きかける。
あなたは『信頼』していなければならない、
深く「はい」と言う者であらねばならない、
そうして明け渡す surrender ことができる。
 
 
この倶胝の弟子 disciple は
明け渡した surrender 者だった、
 
だからこそ
 
この出来事から
彼は光明 enlightenment を得た。
 
 
 
 
さて、
この奇妙な話の中に入っていこう。
それぞれの言葉は重要な意味を持つ。
 
 
『禅の導師 master 倶胝は
禅について問を説くとき
つねに指を立てる習慣があった。』
 
 
導師 master は
けっして不必要なことをしない、
 
指を1本立てることさえ。
 
 
不必要は消える。
 
ただ『本質』だけが
導師 master のもとにある。
 
『本質的』でないことは、
ひとつの動作、
ひとつの身ぶりもしない。
 
 
『本質的』でないことは、
無知のもとにある、
 
それなら
あなたが何をしようと、
それはすべてとるにたらないこと、
『本質的』なことではない…
 
『手放した』ところで、
失うものはない。
 
 
自分の生を見てごらん、
 
あなたが何をしていようと…
もしそれを『手放し』たら、
何か失うものがあるだろうか?
 
それからは何も得ていない…
朝から晩までとるにたらないものごとだ。
 
そしてあなたはそれに疲れて眠る、
朝には、
また同じ『本質』から外れたことをする準備をする。
 
それは悪循環だ、
 
『本質』から外れたことは
別の『本質』から外れたことに引き込まれる、
 
それらは互いに連結している。
 
 
だが、
生のこのつまらなさを
『見る』のを『恐れ』、
あなたはいつもそれに背中を向けている、
 
なぜなら
 
その生のつまらなさを『見れ』ば
とてもがっかりしてしまうからだ、
 
「何をしているのだろう?」。
 
 
自分のしていることすべて
まったく無益だと知れば、
 
あなたはエゴ(欲・自我)を失ってしまう、
 
なぜなら
 
エゴ(欲・自我)は、
自分が意義深いことをしているときだけ、
意義を感じるからだ。
 
 
だから
あなたはとるにたらない物事に
意義を見出しては、
国家、
家族、
人類
に偉大な義務を果たしていると感じる…
 
あたかも
あなたなしでは
存在は
ただダメになってしまうとでも言うように。
 
あなたが何をしていようと、
重要なことではない…
 
けれども
あなたはそれに意義を与えなくてはならない、
なぜなら
意義深さから
エゴ(欲・自我)は
養われ、
強まるからだ。
 
 
 
無知のもとでは、
すべてが『非本質的』だ。
 
瞑想 meditation
祈り 
寺院に行く
ことさえも、
 
何をしようとも…
 
すべてがつまらぬことだ。
 
 
たとえ祈っても、
新聞を読むより深いものにできない。
 
なぜなら
祈りが問題なのではなく、
あなたが問題だからだ。
 
あなたに深みがあれば、
いつ動こうと、
何をしようと、
その行動は深い。
 
もしあなたに深みがなければ、
たとえ寺院に行こうと
何も変わらない、
 
あなたは、
ホテルに入るのと同じように寺院に入る。
 
あなたは同じだ、
寺院もホテルも
たいした違いがない。
 
 
子供に
ダイヤモンドでできた
非常に高価なおもちゃを与えてごらん、
すると
普通のおもちゃと同じように
その高価なおもちゃで遊ぶ、
 
なぜなら、彼は子供だからだ。
 
少しの間、それで遊んで、
部屋のすみに放り出して行ってしまう。
 
 
あなたの深さは、
あなたの行動に深みをもたらす。
 
 
光明 enlightenment を得た導師 master が
指を立てるとき、
それは意味あるものだ、
 
それは非常に意義深い。
 
なぜ、
この倶胝は指を立てていたのだろう…
 
 
『禅について問いを説くとき、つねに…』
 
 
いつでもというわけではない…
禅に関する問いを説くとき
つねに指を立てた。
 
なぜだろう?…
 
なぜなら
倶胝は説明すると同時に示していた、
 
なぜなら
 
宗教について
何が尋ねられても、
1つ立てた指が
その答えだからだ。
 
 
全てのあなたの問題がわいてくるのは
『あなたが1つでない』からだ。
 
全てのあなたの問題がわいてくるのは
あなたは切り離された断片(1部)だからだ。
 
全てのあなたの問題がわいてくるのは
あなたは分離し、混沌として、
調和していないからだ。
 
 
禅 zen とは何だろう?
ヨガ yoga とは何だろう?
瞑想 meditation とは何だろう?
 
 
1つに至ること
にほかならない。
 
 
ヨガというまさにその言葉の意味が
『統一』
1つになること、
全体、
総体
だ。
 
 
そして倶胝は
禅 zen について説明していた、
 
説明は「二次的」なものだ、
 
立てた指が『本来』のものだ。
 
 
倶胝は「語る」と同時に『示し』ていた。
 
これが、
光明 enlightenment を得た人の生き方だ、
 
「語る」と同時に『示す』。
 
まさに
倶胝の『実存(being)』、
倶胝のしぐさ、
倶胝の動きが
宗教そのものを『示す』。
 
 
もしあなたが見えない場合、
もし目が見えなかったり
または
もし理解の次元、見る次元を失っていたとしたら、
 
そのとき
 
あなたは言葉だけを耳にする。
 
 
だが
見方を知っていたら、
言葉は必要ない。
 
 
言葉は役に立たない、
言葉は落とすことができる、
言葉は「二次的」なものだ。
 
 
だが
立てた指は落とすことができない、
それは『本来』のものだ、
それが唯一の答えだ。
 
 
知った人はすべて、
世界中あらゆるところで
1本の指を立てた。
 
彼らは『1つ』について語っている、
 
そしてあなたは「多」の中に生きている。
 
 
 
あなたが「多」に生きるとき、
問題が生まれる、
 
なぜから
 
「多」の中に生きると、
同時に多くの方向へと進み、
 
あなたは「部分」に「分裂」し、
まとまらなくなってしまうからだ。
 
そうなると、
ある「欲望」が南へと連れて行き、
別の「欲望」が北へと率いる。
 
マインド(思考)の
ある「部分」が愛し、
別の「部分」が憎む。
 
マインド(思考)の
ある「部分」が財産を貯めたがり、
他の「部分」は ”そんなことは無駄だ、放棄しろ!” と言う。
 
 
あるマインド(思考)は
瞑想 meditation、深く沈黙に在ることを望み、
他のマインド(思考)は
” どうして時間を無駄にするのだ?” と言う。
 
 
 
聞いた話だが、
あるとき、ある男が、
とても若くして世間を放棄しヒマラヤに行った。
彼は20年近くそこで瞑想 meditation した。
すでに40歳になっていた。
彼は座っては瞑想 meditation、
座っては瞑想 meditation と
他にはまったく何もしなかった。
鳥や野生の動物さえ次第に彼を恐れなくなっていた。
 
彼はそこにいて
とても平和で愛にあふれ
ただ座っていた。
 
動物がやってきて座った。
彼らが狩りに行かなくてはならないとき
子供たちの面倒を見てもらうために
彼のそばへ連れてきた。
 
彼の髪はとても長くなり
鳥が巣を作って卵を生み
彼はその面倒も見なくてはならなかった。
 
20年たって彼はすべてにうんざりした。
彼は言った
 
「私は鳥とか動物の、
他の子供の世話をしている…
 
なぜ、行って女性と結婚し、
自分の子供の世話をしないのだろう?
 
これは、ばからしい。
私は何も達成していない。
この20年間を無駄にしてしまった。
もう40歳だから無駄にする時間はない。
まもなく衰えてくる!」
 
何が問題だったのだろう?
 
マインド(思考)は絶えずバラバラだった。
 
ある部分が瞑想 meditation していても
別の部分は絶えず言っていた
 
「何にもならない!
どうして時間を無駄にするんだ?
 
他人は楽しんでいる。
平地に戻ろう。
人々はそこで幸せだ…
踊って
飲んで
食べて
愛し合って。
 
世界はエクスタシーにあるのに
おまえはここでバカみたいに座っている。」
 
ずっとこの部分を20年間聞いていて
次第に
始めの部分は弱くなっていった。
 
彼は
表面では
ラーム、ラームとマントラを繰り返していた。
 
だが
深いところでは
これがマントラだった。
 
「無駄だ!バカみたいに座って。
みんなは生を楽しんでいるというのに、
すでに生は衰えてきている。
もうじき、何も楽しめなくなる。
おまえは年をとるぞ。」
 
…とマインド(思考)のもう一方の部分が
絶えず言っていた。
 
こちらの方が、実際のマントラだった。
 
表面では、ラーム、ラーム…
だが
深いところでは、こちらが実際のマントラに…
 
 
マインド(思考)が分裂していると
祈ることができない。
瞑想 meditation ができない。
 
なぜから
 
一部分がつねに
それに反対しているからだ。
 
まもなく
それが勝つことになる。
 
 
これを覚えておきなさい。
 
 
携わっている部分の方は
毎瞬エネルギーを失っていく。
 
そして
 
携わっていない部分の方は
批判的な部分の方は
エネルギーをまったく失わない。
 
まもなく
そちらがさらに強力になる。
 
 
あなたは女性を愛する。
そして
もう一方では憎む。
 
あなたはこれを隠すかもしれない
…誰もが、もう一方の部分を隠している…
 
だが
光明 enlightenment を得ないかぎり
もう一方の部分はそこにある。
 
この愛する部分は、まもなく弱くなる。
なぜなら
それは使われているからだ。
エネルギーをつぎこんでいるからだ。
 
もう一方の隠れた部分、憎しみの部分は、
さらに強くなる。
 
だから、
すべての結婚が
別離へといたる。
 
離婚するか
離婚しないかは
また別のことだ…
 
だが結婚はすべて、別離になる、
 
光明 enlightenment を得た人と結婚しないかぎりは…
それはとても難しい。
 
 
 
ある日、この男はうんざりした。
彼は、ヒマラヤから降り始めた。
彼は思った
 
「どこから始めよう?」
 
…彼は完全に世間のやり方を忘れていた、
あまりにも長く世間の外にいた。
 
「どこから始めよう?
世間で始めるには、案内人が要る。
別の世界で始めるのに、案内人が必要になるように。
この世界で、良い案内人は誰だろう?」
 
そのとき
彼はその昔、王たちがその息子と王女を
売春婦のもとに送り、
世界への入り方を学ばせていたことを思い出した。
 
この世界の案内人として売春婦ほどうってつけの者はいない。
彼女は世界の権化だ。
 
愛さえ、
彼女にとっては商売だ
…これはこの世の最後のものだ…
愛さえ専門職、商売になった。
彼女は愛を売る。
金が、愛より重要になった。
 
これが世界で最後のものだ
そして
これが扉にもできる。
 
 
それで彼は直接、売春婦のところへ行った。
夕方だったので、売春婦は王のところへ行く仕度をしていた。
彼女は言った
 
「ようこそ、いらっしゃい。
でも、わたしは王に招かれているの。
王は守銭奴よ。
たくさん稼いでやろうとは思っていないけど、
それでも…わからないわ。
守銭奴でも、くれるときもあるの。
ついておいで。」
 
それで、僧はついていった。
 
一晩中、売春婦は歌い踊った。
王は黙って座っていた、
彼は彼女には何も与えなかった。
そしてその晩も終わりに近づき、
まもなく夜が明けようとしていた。
女はとても疲れていた。
彼女はタブラを叩いている夫に歌の中でこう言った
 
「今、やれることはすべてやった。」
 
誰にもわからないように彼女は音楽にあわせて歌った
 
「やれることはすべてやった。
もう望みはなさそう。
おいとました方がいいでしょう。」
 
心の中で僧は思った。
 
「これは、わたしの状況だった。
やれることはすべてやった。
もう手は尽くした。
去った方がいい。」
 
それで彼は注意して聞いていた。
 
夫は言った
 
「やれることはすべてやった。
でも、まだ少しばかり夜は残っている。
誰にもわかったものではない。
わたしたちは仕事を全部やり遂げるまで
見ていなければならない。
だから、もう少し辛抱して。」
 
これを聞いて僧は思った。
 
「今、わたしはどうしたらいいのだろう?
おそらくヒマラヤを去ったとき
わたしは瀬戸際にいたのだ…
もう少しの辛抱だ。」
 
彼は毛布1枚を羽織っているだけだった、
その下は裸だった。
あまりにも心を奪われていたので
彼は毛布を売春婦の足元に投げだし、
宮殿から駆け出してしまった。
 
王は彼に言った
 
「止まれ!
これはしきたりに反するぞ。」
 
裕福な人を前にしたら
まず寄進しなくてはならないというのが
しきたりだった。
そうしないと侮辱になる…
王を前にしているのでこの男は寄進したのだ。
 
僧は言った
 
「しきたりに反するというなら
わたしを殺しても結構です。
しかし
彼女がわたしの命を救ってくれました。
そしてそれは
わたしにとって非常に法悦的(エクスタティック)な瞬間でした。
わたしは何かをさしあげなくてはなりませんでした。
あの毛布の他には何も持っていません。
そして
あなたを待ってはいられません。
わたしはヒマラヤに向かいます。
この女性とタブラを叩いている男性は
わたしに秘密を明かしてくれました。
もう少しの辛抱だ、と。」
 
その男は
そのときその場で
光明 enlightenment を得たと言われている。
 
彼は2度とヒマラヤには行かなかった。
宮殿の階段を降りていて
光明 enlightenment を得た。
 
 
 
何が起こったのだろう?
 
初めて
2つの部分が
1つになった。
 
それが辛抱の意味だ。
 
辛抱とは
もう一方の部分と戦わせない
ということだ、
 
辛抱とは
あなたに無限に待つ用意がある
ということだ。
 
 
もしあなたに無限に待つ用意があれば
「まだ、それが起きていない」と
もう一方の部分が言う可能性はまったくない。
「なぜ、人生を無駄にするんだ?」
という感覚はまったくない。
 
 
もし無限に待つ用意があれば
無駄なことはない。
 
そして
 
もしあなたの待つことが
永遠
無限
のものであれば
 
もう一方の部分に言うことは、
何もない。
 
 
 
1つであることが必要だ
 
…もう一方の部分が絶え間ない葛藤にないときが。
 
 
 
だから
倶胝は禅を説明するときはいつも
1本の指を用いた。
 
「1つであれ!
…あなたの問題はすべて解決する。」と。
 
 
 
たくさんの宗教、
たくさんの道、
たくさんの技法がある、
 
だが
その『本質』の要点は同じだ、
 
 
『1つになること』become one。
 
 
もしあなたが何を選ぼうと
1つになることだ。
 
 
 
もし無限に辛抱できれば
あなたは1つになる。
 
もしトータルに明け渡す surrender ことができれば
あなたは1つになる。
 
もし完全に沈黙すれば
あなたは1つになる。
 
もし何の思念もなく
瞑想 meditation にあれば
あなたは1つになる。
 
もし神に祈り、
その祈りが
祈る者がもはやいなくなるほど強烈になれば
祈る者は祈りに溶け
1つなるものが残るだろう。
 
 
庭を掘るにも
掘る者がいなくなるほど
完全に掘ることに飲まれるほど
掘ることができれば…
あなたは掘ることになっている。
 
行為者は行為になる
目撃者は目撃になる
瞑想者は瞑想 meditationになる
 
…突然、すべてのマーヤの波が消える
幻はすべて落ちる。
 
あなたは違う層、
『実存(being)』の違う局面に昇った。
 
あなたは『1つ』へと至った。
 
 
あなたが1つであるとき
『1つなるもの』に達する。
 
あなたが「多」であれば、
あなたは世界にいる。
 
 
世界は「多」だ。
そして
神は『1つ』だ。
 
 
だが
その1つを知るにはまず
あなたが1つにならなくてはならない、
 
そうでないと
知ることはできない。
 
1つになって初めて
それを知ることができる。
 
 
『禅の導師 master 倶胝は
禅について問を説くとき
つねに指を立てる習慣があった。』
 
 
禅はサンスクリット語からきている、
 
それはディヤンに由来する。
 
それはディヤンの日本語形だ。
 
ゴータマ・ブッダの教えである
ディヤンを中国に持っているきたとき
中国でチャンになった。
 
チャンが日本に取り入れられたとき
それは禅になった。
 
だが、本来の言葉はディヤンだ。
 
倶胝が
ディヤン
瞑想 meditation に関して語るときはいつも
指を一本立てた。
 
1つであること…それがディヤンだ、
Oneness is dhyan.
 
1つであることが
達成されなくてはならないすべてだ
…それは最後のものだ。
 
 
『とても若い弟子 disciple が
倶胝の真似をし始めた。』
 
 
もちろんその少年はとても若かったのだろう、
なぜなら
真似をするのは、子供だけだからだ。
 
成熟するほど、真似しなくなる、
未熟なほど、真似をする。
 
今だに真似をしていれば、あなたは未熟だ、
成熟していない。
まだ成長していない。
 
 
『成長』とは何か?
 
 
と問われれば、わたしはこう言う。
 
物真似屋になるのではなく
自分自身にならなければならないと
認識することだ、
 
これが成熟だ。
 
 
あなたが内側を見ても
この成熟は見つからないだろう。
 
 
あなたは他人を真似てきた。
 
 
誰かが新しい車を買った
…急に、あなたは真似し始め
新しい車が必要になる。
 
誰かが大きい家を建てた。
…あなたはもっと大きい家が必要になる。
 
近所がいつもあなたにとって気にかかる。
 
彼らはあれこれと手に入れている。
すると
あなたは真似をしなくてはならない。
 
そして真似するとき
あなたはまるで猿のようだ。
 
 
真似をしてはいけない。
成熟しなさい。
 
なぜなら
 
真似をしても
何にもならないからだ。
 
 
なぜだろう?
 
真似とは何だろう?
 
そして、真正で真実であることとは何だろう?
 
 
 
模倣(imitation)とは
外側から来る理想のことだ、
自分の欲望ではない。
 
それは
あなたの内側で起こっているものではない、
模倣したところで
それはあなたの自然な姿の開花ではない。
 
誰かがあなたにその理想を与える、
そして
あなたはその後を追いかける。
 
もしそれを達成しないと、
あなたはみじめになる
なぜなら
理想を達成できないからだ。
 
もし達成しても、
あなたはみじめになる
なぜなら
それはけっしてあなたの理想ではなかったからだ。
 
あなたはけっしてそれを欲していなかった、
なぜなら
それはけっしてあなたの内側の『実存(being)』に起こったことでなかったからだ。
 
 
だからこそ
世界には
とても多くのみじめさが存在する、
 
人々が他人を真似しているために。
 
もし失敗すると、
みじめになる
なぜなら
達成できていないと思うからだ。
 
もし成功したら、
みじめになる。
 
 
覚えておきなさい。
 
 
成功ほどの失敗はない
…それが模倣なら、成功ほどの失敗はない。
 
 
あなたは
長い奮闘の旅、努力、時間とエネルギーの
浪費の末
目的を達成する、
そして突然あなたは見つける、
 
「こんなことがしたかったのではない…
これは他人事だ。
借り物の理想だった。」
 
理想を借りてはならない、
それは子供っぽいことだ。
 
 
『とても若い弟子 disciple が
倶胝の真似をし始めた…』
 
 
彼はとても若く、未熟で、子供っぽかったにちがいない。
 
彼は倶胝を真似し始めた。
 
 
『…そして導師 master が何について説いたか
人に尋ねられると
少年は指を立てた…』
 
 
導師 master がしたような
同じふるまい
同じ仕草。
 
人々はそれを楽しんだにちがいない、
彼らは笑っただろう。
少年は完璧な物真似屋だった、
彼は同じ顔をし、
同じ指を立て、
同じように見えるようにした。
彼は上手に演じた。
 
しかし
どれほど演技に磨きがかかったところで
あなたは未熟者のままだ。
 
 
自分自身に真実でありなさい、
Be true to yourself.
 
 
たとえ、そこで有能でないとしても。
 
 
自分自身に真実でありなさい、
 
 
なぜなら
 
 
自分自身の真実が
あなたを究極の真実へと導くことができるからだ。
your own truth can lead you to the ultimate truth.
 
 
他人の真実は
あなたの真実にはなれない。
Nobody else's truth can be your truth.
 
 
あなたは
内側に1つの種を持っている。
 
その種が芽生え
木になって初めて
あなたの開花がある、
 
そのとき
エクスタシーが、祝福がある。
 
しかし
 
もしあなたが他人の後をたどっているなら
その種は死んだままだろう。
 
そして
世界中の理想を全部集め成功したとしても
あなたは空しさを感じる
なぜなら
なにもあなたを満たせるものはないからだ
 
…あなたの種だけが、
それが木になったときだけ
あなたは満たされるだろう。
 
あなたが満足(充実)を感じるのは
あなたの真実が花となるときだけ、
けっしてそれ以前ではない。
 
 
そして
人々はあなたがうまく真似することを
ほめたたえる
…彼らはいつもそれを高く評価する。
 
 
この少年は寺でほめられたのだろう
なぜなら
彼は導師 master のように演じたのだから。
彼は有名だったにちがいない。
物真似屋は有名になる、
しかし
彼らは自分たちが自殺行為をしているのを知らない。
だが、人々が高く評価すれば
あなたは自殺行為もする。
 
 
 
死んだ役者の話を聞いたことがある。
彼の葬儀には、何千という人々がやって来た。
彼の妻は自分の胸を叩いて泣き叫んだ。
そして、何千という人が来たのを見て
彼女は言った
 
「主人がこれを知っていたら…
たくさんの人が来ると知っていたら
もっと早く死んだでしょうに。」
 
もし高く評価されるなら
あなたは自殺もできる。
 
あなたたちはみな
自殺行為をしてきた、
なぜなら
模倣する者はつねに高く評価されるからだ。
 
 
真正な人が評価されることはない、
なぜなら
真正な人は反逆者だからだ。
 
真正な人は誰の真似もしない。
 
彼は言う
 
「わたしはゴータマ・ブッダになるつもりはない。
クリシュナとか
エスになるつもりはない。
ひとりで充分だ!
エスはひとりで充分だ。
なぜ、真似するのか?」
 
そして
どんなに2番目のイエスが素晴らしかったとしても
それはただのコピーにすぎない…何の価値もない。
 
どうしてイエスを真似るのか?
 
神が最後にあなたに
なぜイエスにならなかったのかと
尋ねることはない。
 
神は
なぜあなた自身にならなかったのかと
あなたに尋ねる。
 
 
 
わたしはハシッドのある神秘家について聞いたことがある。
彼はとても貧しく、マギードという名だった。
 
彼のことはあまりよく知られていなかったが
彼は本物、真正の人だった。
 
彼の死に際し、ある人が尋ねた。
 
「マギード、神様に、
モーゼみたいにしてもらえるように祈ったかい?」
 
マギードは目を開けて言った
 
「よしなさい!
わたしが死んでいくときに
そんなことを言ってはならない。
神は『なぜ、モーゼにならなかったのか?』とは尋ねない。
神はわたしに尋ねるだろう
『マギード、なぜ、本物のマギードにならなかったのか?』と。」
 
他の人々はそうは思わない、
彼らにはわからなかった、
なぜなら
モーゼを侮辱しているようにとれるからだ。
 
そうではない。
 
モーゼを侮辱してはいない。
 
モーゼはモーゼになった、
それが彼の美しさだ。
 
マギードはマギードになった、
それが彼の美しさだ。
 
そして
美しさだけが捧げることができる、
 
花開いた『実存(being)』だけが
神に捧げることができる。
 
神が薔薇に
「どうして蓮にならなかったのか?」
と尋ねるだろうか。
 
薔薇に
「どうして蓮にならなかったのか?」
と尋ねるほど
神は愚かだろうか。
 
そんなことはない!
 
神はあなたが思っているほどバカではない。
 
彼は薔薇に尋ねる
 
「どうして完全に咲かなかったのだ?
なぜ花ではなく、蕾のままでやって来たのだ?」
 
 
 
花開くことが要点だ。
 
 
 
あなたが
蓮であろうが
薔薇であろうが
あるいは
誰も知らない花であろうが
名もない花だろうが
違いはない。
 
あなたが
誰であるかは問題ではない。
 
神聖の扉に
あなたが花として咲いている者
開いている者として
やって来るか
 
または
 
閉じたままでやって来るか
どうかだ…
 
 
『とても若い弟子 disciple が
倶胝の真似をし始めた…』
 
 
導師 master のもとへ行けば
その可能性はつねにある…
第1の可能性だ、
 
あなたは導師 master を真似し始める。
 
 
覚えておきなさい、
 
 
これは助けにならない、
これは危険だ。
あなたは自殺行為をしている。
 
導師 master を『理解』することだ、
 
導師 master の臨在をできるかぎり
飲んで、味わうことだ、
 
しかし
 
物真似屋になってはいけない。
 
偽者にはならないことだ。
 
 
『これは倶胝の耳にも入った。
ある日、倶胝は少年が真似している場に現れ
少年を捕まえ、ナイフを取りだし、
その指を切って放り投げた。』
 
 
とても厳しい、残酷な導師 master に見える。
導師 master は残酷だ。
そうでなくては
あなたを助けることはできない。
 
残酷なのは
導師 master たちには非常に深い慈愛があるからだ。
 
なぜ、導師 master 倶胝は指を切ったのだろう?
 
手ぬるいことでは
この少年の助けにはならなかった。
 
非常に痛烈なものが必要だった、
 
まさにハートへと入っていく何かが必要だった。
 
これは理解されなくてはならない。
 
 
あなたはわたしに耳を傾ける。
 
もし
あなたがただの好奇心から来たのであれば
それはあまり深く入って行かない。
 
もし
あなたの好奇心が
ただの知的なもので
わたしの言っていることを
知るためのものであれば
あまり深くは入って行かない、
 
あなたは
わたしの言うことが
まったく『理解』できないだろう。
 
 
 
 
 
もし、
生があなたに非常な苦しみをもたらし
あなたがその苦しみゆえにここにいて
その乗り越え方を理解しようとしているなら
わたしの言っていることが深く入って行くだろう。
 
 
 
苦しみは
あなたに深みをもたらす。
 
 
 
苦しみは
あなたを『中心』へと導く。
 
 
 
もしあなたが
知的な関係でなく
わたしとの愛にあるなら
 
…これはまったく関係というものではない…
 
だが
ひとつの愛の関係、
 
もしあなたが感情的に
わたしとの触れ合いに在れば、
それはさらに深いものとなる。
 
なぜなら
 
人を愛すると
頭ではなく、
ハートで聞くようになるからだ。
 
そして
 
頭はもっと役に立たないもの
がらくた
ただのくず箱にすぎない
…たいしたものではない。
 
ゴミというゴミを全部
あなたは頭の中に集め続ける。
 
ゴミはけっして
ハートに入らない、
ゴミは頭にたまる。
 
実に本質的なものだけがハートに向かう。
 
だからもしあなたが
ただの知りたがり屋として
ただの好奇心から
ここにいるなら
わたしの言葉を耳にしても
それは表面上だ。
 
あなたにはあまり届かないだろう。
 
もしあなたが苦しんだために
ここにいるなら
 
…知りたがり屋としてではなく
生と
生の苦しみを知った人として来て
成熟し
本当に『変容』を望んでいるなら…
 
あなたはもっと深いところから
耳を傾けるだろう。
 
 
だがその深みは
さらに深いものとなり得る。
 
 
もしあなたが
わたしとの愛に在るなら、
もしあなたが『信頼』を持っているなら、
あなたはさらに開く
 
…『信頼』だけが開くことができるからだ、
 
そうでないとき
あなたはつねに恐れ、つねに閉じている。
 
あなたがトータルに開いているとき…
 
あなたは苦しんだ
生があなたに深みを与えた、
すると
あなたは『信頼』し、
あなたは完全に開く
 
…そのとき
ものごとは即座にハートへと向かえる。
 
1度それを耳にしたら
あなたは2度と
同じではなくなる。
 
 
『これは倶胝の耳にも入った。…』
 
 
つねに導師 master には
誰が物真似屋かわかっている。
 
彼らはあまりにもあからさまで
見えすいている。
 
わたしは誰がここで物真似屋か
よく知っている。
 
物真似屋は誰でも騙せる
だが
彼が真似するその当人は騙せない。
 
彼の虚偽はあまりにも歴然としている。
 
人々がわたしのところへやってきて
わたしの言葉や身振りを繰り返し
わたしのことを騙せたと思っている。
 
他の人は騙せても
わたしを騙すことはできない、
なぜなら
彼の言葉はあまりに浅いからだ。
 
あなたは同じ言葉を繰り返せる、
何の問題もなく、
 
言葉は問題ない
 
…どれほどの深みをその言葉にもたらすか、
 
それは
あなたの『実存(being)』からやってくる。
 
言葉なら誰でも使える。
 
 
 
ギータをまるごと唱えることなら
あなたにもできる、
 
しかし
 
その言葉はクリシュナの口から出てきたときと同じものではない。
 
 
 
聖書をまるごと繰り返すことなら
あなたにもできる、
 
しかし
 
その言葉は
エスが使っていたときには
途方もないエネルギー
『変容』の力を持っていた
…イエスがその言葉の中にいたからだ。
 
1つ1つの言葉にある彼の『実存(being)』は
あなたに向かって流れていた。
 
 
あなたは同じ言葉を使うことができる
 
…あらゆるキリスト教の演壇で
何百万人もの司祭が
同じ言葉を繰り返している…
 
壇上の説教で
 
…そして、それらの言葉は非常に浅い、
彼らは酷い害を働いてしまった。
繰り返さなかった方がましだったろう、
 
なぜなら
 
ある言葉を繰り返し続けると
その言葉は力を失ってしまうからだ。
 
それらは
あまりに使われてしまった、
人々があまりに聞き慣れてしまったので、
ほとんど役に立たない決まり文句になってしまった。
 
 
 
倶胝は
自分を真似るこの少年のことを
知るようになったにちがいない、
そして
 
 
『ある日、倶胝は少年が真似している場に現れ
少年を捕まえ、ナイフを取りだし、
その指を切って放り投げた。』
 
 
なんと痛烈な!
だが、その倶胝という人は
とてもとても慈悲深かったにちがいない。
 
慈悲深さからのみ
非常に厳しくなれるものだ。
 
理解し難いことではある、
 
というのもわれわれは
残酷さ
厳しさ
つねに慈愛のないところにあると思い込んでいるからだ。
 
違う
 
…そんなことでは
光明 enlightenment を得た人を『理解』できないだろう。
光明 enlightenment を得た人は
慈悲を持たずには
あなたに厳しく当たらない…
 
なぜ、かまうのだろう?
 
彼はあなたを気にかけ、心配するので、
厳しく当たる、
 
彼はあなたを助けたい。
 
そして、それは必ず効く。
 
 
何が起こったのだろう?
 
彼はナイフを取り出し
その少年の指をつかみ
それを切って放り投げた、
 
何が起こったのだろう?
 
禅師がナイフを取り出すのを少年が見たとき
何が起こったのか?
 
もし突然
誰かがナイフを持ってやって来たら
何が起こるだろう?
 
 
マインド(思考)が止まる。
 
考えることはできない、
 
それはあまりに新奇なことだ。
 
古いマインド(思考)はただ止まる、
 
「何事か?」とは働き出せない。
 
そして、倶胝がナイフを持って来るなど
誰も思いも寄らなかった。
 
 
ある日わたしがナイフを持って来るなど
あなたに思いつくだろうか?
 
それは、あまりにあり得ない、
理解できないことだ。
 
そして
倶胝はナイフを取り出した
 
…少年はショックを受け
マインド(思考)は止まった。
 
それは
もの凄いショック療法だ。
 
そして
倶胝の方から寄って来ることは
まずあり得ないことだ。
 
少年は夢にも思わなかった
 
…そして
ナイフを取り出すだけではなく
彼は指を切り落とした。
 
 
 
倶胝がその指を切っていたとき、
手からその指が切り離されたとき、
少年の内側では
何が起こっていたのだろう?
 
 
初めて
彼はマインド(思考)なしに
注意深くあった。
 
 
そんな瞬間に
眠ってなどいられなかった。
 
誰かが自分の指を切り落としているときに
眠ることができるだろうか?
 
あなたは眠ることなどできない。
 
そのあまりに強烈な痛みに
そのあまりに強烈な苦しみに
 
不意のその瞬間
少年は『変容』した。
 
彼はもはや子供ではなかった。
 
彼は成熟していた。
 
 
それは即時に起こり得る、
 
何生あっても
起こらないかもしれない。
 
 
模倣は厳しく切り落とされなくてはならない。
 
その指は、まさに象徴的だ。
 
その少年は
厳しく打たれなくてはならない、
 
その苦しみは
彼の『実存』のまさに根っこまで
届かなくてはならない、
 
そして
 
それがあまりに未知なため
彼はそれを理論立てられない。
 
彼はそれについて考えられない、
理論立てられない。
 
彼はただショックを受けた。
 
マインド(思考)はどこにも動けない。
 
彼は
生まれて初めて新鮮な目で
その目にマインド(思考)の浮かぶことのないまま
見たにちがいない。
 
そして
その痛みが
あまりにも強烈で
あまりにも突然だったので
それはまさに
ハートへと行ったはずだ。
 
 
 
覚えておくことだ、
 
 
 
楽しみは
痛みほど
深くなるものではない。
 
楽しみは
けっして深くはならない。
 
それは入って行くことができない、
 
まさに楽しみの本質が表面的だ。
 
だから
楽しみに生きる人々はつねに表面的で浅はかなままだ。
 
金持ちに、深みは見い出せない…難しい。
 
 
 
乞食には、深みが見い出せるかもしれない、
 
あなたには
乞食が見えていないかもしれない、
なぜなら
彼のことを乞食だと思っているからだ
 
…だが、自分の考え(マインド(思考))に固執しすぎてはならない。
 
乞食が通るとき見てごらん!
 
彼は非常に苦しんだ、
非常な痛みに生きてきた、
そして
痛みは深みを与える。
 
裕福な人はつねに浅はかだ、表面的だ、
彼は楽しみに生きてきた。
楽しみはあまり深くはならない。
 
 
この苦しみに痛みは強烈だった、
そして
あまりの突然にマインド(思考)の回転は止まり
ハートが叩かれた。
 
 
『少年が泣きわめいて逃げ出すと
倶胝は叫んだ。
「止まれ!」』
 
 
これが
わたしがあなたたちに言ってきたことだ。
 
だが
まず初めに
あなたが深い苦悩に泣き叫んでいなければならない、
 
そのとき初めて
「ストップ」
が意味あるものとなる。
 
少年は痛みと苦しみに泣きわめいて走った、
そして
倶胝は叫んだ
『止まれ!』。
 
もしもその
「ストップ」が
正しい瞬間に叫ばれれば、
それは深く働く。
 
 
突然、彼は止まった!
 
この静止に何が起きたのか?
 
そこにはもはや痛みはない。
 
もし突然あなたが止まったなら、
全注意が「ストップ」という音に向かう。
 
 
肉体は後にとり残される、
あなたは注意深くなる。
 
 
そして非常に注意深いとき、
肉体にかき乱すことはできない、
肉体に注意をそらせることはできない。
 
指はそこになかった、
血が流れていた…痛みはあった、
 
だが
この「ストップ」が
彼の全注意を導師 master へと向かわせた。
 
 
注意がそこにないとき、
痛みはない。
 
 
痛みは
肉体に存在するのではなく
注意のなかに存在する。
 
 
もし病気で床に伏すと
何をするだろう?
 
あなたは絶えず
自分の病気に注意を向ける。
 
それに餌を与えているのだ。
 
これについてはなんとかしないといけない、
なぜなら
それが世界中の大問題になってしまったからだ。
 
病気になると医者は提言する
 
「横になって休みなさい。」
 
だが、休んで何をするだろう?
 
あなたは痛みに注意を向ける、
そうやって痛みに餌を与える。
注意がそれを養う。
 
そうして痛みのことを思い続ける、
 
内側で
 
「わたしは病気だ。わたしは病気だ。
こことあそこが悪い。」
 
と唱えそれがマントラになる。
 
愚痴だ
…あなたは何度も体中くまなくめぐっては
何が悪いか見つけ出そうとする。
そしてそれに思いふけるようになり
非常に病的なものになる。
これが病気の継続ともなる。
あなたは病気に催眠をかけられてしまう。
 
もし病気に注意を向けすぎると
催眠の犠牲になる。
 
もし絶えず何かに不平を言うと悪循環になる、
あなたは不平を言ってそれを招待している、
なぜなら
どの不平だろうとすべて
あなたがまた注意、また注意と
再び注意を向けているということだからだ。
それは反復性を持つ。
 
 
 
聞いたことがあるが
…こうしたことは何度もあった。
 
ある人が病気だった。
体が麻痺していた。
15年間歩けなかった。
ある晩、突然家が家事になった。
家が燃えていてみんな家から駆け出した。
その男は体が麻痺しているのを忘れた。
そして彼も家から駆け出した。
家の外で家族は
彼が外に駆け出して来たのを見て言った
 
「なんだ!おまえは麻痺してるんだぞ!」
…男は倒れた。
 
 
何が起こったのだろう?
 
 
この強烈な出来事の
いつもとは違う瞬間…家が火事だ…
男は麻痺しているのを
一瞬忘れた。
 
 
もしあなたが自分の病気を忘れられれば
どんな薬の効き目より早く
病気は消える。
 
もし忘れることができなければ
もし絶えず思いふけるなら
あなたはその傷と遊んでいるのだ。
 
あなたが傷と遊べば遊ぶほど
それはもっと深くなる。
 
 
倶胝が「ストップ」と叫んだとき
何が起こったのだろう?
 
少年は倶胝を見た。
泣き声はやんだ、痛みは消えた。
まるで指は切られなかったかのように。
 
 
『少年は立ち止まり、振り向いて、
自分の導師 master を涙の影から見た。』
 
 
その目は涙でいっぱいだった、
彼は泣き叫んでいた。
彼は止まった!
痛みは消えた、
でも涙はそんなにすぐには消えない
…涙はそこにあった。
 
 
『倶胝は自分の指を立てた。
少年は指を立てようとした。
だが、指がないことに気づき
彼は頭を垂れた。
 
その瞬間、
彼は光明 enlightenment を得た。』
 
 
『倶胝は自分の指を立てた…』
 
 
非常に強烈な『気づき』の瞬間、
非常に偉大な方便、
導師 master によって作られた状況だ。
 
マインド(思考)はもはやそこにはない、
痛みは消え去った、
 
なぜなら
注意が別のところから呼びかけられたからだ…
 
この状況において
少年は息もつけないほどだった。
 
この状況にあたかも息もつけないほどに。
 
「止まれ!」…呼吸が止まった、
 
そしてマインド(思考)が止まった、
 
彼は今、指がないことを忘れた。
 
ただ古い習慣から、
導師 master が指を立てたとき、
彼は自分の…そこにはないものを立てた。
 
それは彼が完全に
何が起こったかを忘れていた
ということを示している。
 
その瞬間
彼は肉体ではなかった、
 
そうでなかったら
どうやって忘れることができただろう?
 
…その痛み、指が切られ血が流れ、
目にはまだ涙が溢れている、
ちょっと前までは彼は泣き叫んでいた。
 
この「止まれ!」が奇跡を起こした。
 
 
『少年は立ち止まり、振り向いて、
自分の導師 master を涙をとおして見た。
 
倶胝は自分の指を立てた。』
 
 
その導師 master が
禅について自分の弟子 disciple たちに教えるとき
ただ古い習慣で少年は
いつも指を立てたものだった。
 
彼は椅子の脇
または椅子の後ろに立ったのだろう、
そして
導師 master が指を立てると、
彼もまた同じことをした。
それはあまりにも自動的になっていた。
 
肉体は自動装置だ。
それは1つの機械であり、機械的だ。
 
 
『少年は指を立てようとした。
だが、指がないことに気づき…』
 
 
彼は見た。
そこに指はなかった…
 
 
『彼は頭を垂れた。』
 
 
何が起こったのだろう?
 
なぜ彼は
それほど感謝に満ち
頭を下げたのだろう?
 
…なぜなら、初めて彼は
自分が肉体ではないことを認識した。
 
彼は
その注意であり
肉体ではない。
 
『気づき』であり
肉体ではない。
 
意識であり
肉体ではない。
 
指はそこにはない、
痛みは消えた、
泣き叫ぶこともすでにない。
 
マインド(思考)が
傷の回りを動いていない、
 
彼はまったく傷に思いとらわれていなかった。
 
彼はもはや肉体ではない、
彼は肉体と合体していない。
 
彼はただ
体の外にいた。
 
初めて
自分は魂、意識であることを認識した
 
…肉体はただの家だ。
 
 
 
あなたは肉体ではない、
 
あなたはその中にいる、
 
しかし、あなたは肉体ではない。
 
もしあなたの注意が
このような強烈さまで至れるなら、
自分が肉体ではないことを認識するだろう。
 
そして
 
1度
自分が肉体ではないことを認識すると
自分には死がないことを知る。
 
 
 
誰があなたの指を切れるだろう?
 
どうやってあなたに暴力がふるえるだろう?
 
あなたを破壊できる者はいない。
 
 
 
だからこそ
彼は深い感謝で
導師 master に頭を垂れた、
 
「あなたは
わたしの『実存』のもっとも深い層
不死を知る
この機会を与えてくれた。」
 
 
『その瞬間、
彼は光明 enlightenment を得た。』
 
 
光明 enlightenment とは何だろう?
 
 
自分が肉体ではないことを
理解し
認識することだ。
 
 
あなたは内なる光だ、
 
ランプではなく、炎だ。
 
 
あなたは
肉体でも
マインド(思考)でもない。
 
 
マインド(思考)は肉体に属している、
マインド(思考)は肉体を超えない、
マインド(思考)は肉体の1部だ…
 
もっとも微細で、
もっとも精巧な、
 
しかし、
それは肉体の1部だ。
 
 
肉体が原子であるように、
マインド(思考)もまた原子だ。
 
 
あなたは、
肉体でも
マインド(思考)でもない…
 
そのときあなたは、
自分が誰であるかを知る。
 
 
そして
自分が誰であるかを知ること、
それが光明 enlightenment だ。
 
 
倶胝が弟子 disciple の指を切ったとき、
その桶、
その古い桶が落ちて壊れ、
水が流れた…
 
水たまらねば、月もやどらず!
no water, no moon!
 
 
弟子 disciple は光明 enlightenment を得た。
 
 
だが、
倶胝は正しい瞬間を待ったにちがいない。
 
 
何年も何年も、
この若者はそうしてきた。
 
 
彼は待った、
そして待った。
 
 
正しい瞬間は、強いることができない、
 
 
それは訪れるとき、訪れる。
 
 
あなたなそれに向かって成長する、
 
 
あなたはそれを手探りする、
 
 
そして、導師 master は待つ。
 
 
それが訪れるとき、
それがそこにあるとき、
どんなものだろうと、
きっかけになる。
 
何だろうとだ。
 
「ストップ」という叫びさえ。
 
 
古い桶は壊れる。
 
突然、反映が消える。
水がもうないからだ。
 
あなたは本当の月を見る、
あなたは光明 enlightenment を得る。
 
 
光明 enlightenment を得たとは、
自分が何者であるか知ったということだ。
 
 
今日は充分だろう。
 
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
from osho transformation tarot
osho transformation タロット より
 
No Water, No Moon
 
Talks on Zen Stories
 
Talks given from 11/08/74 am to 20/08/74 am English Discourse series
 
Chapter 5
Chapter title: Gutei’s Finger
15 August 1974 am in Buddha Hall
 
この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
 
no water no moonの講話のカードは以前アップしたこちら…
The ultimate accident 
 
 
 
 
chapter 5 の英語の全講話です。
 
 
Gutei's Finger
 
 
THE ZEN MASTER GUTEI MADE A PRACTICE OF RAISING HIS FINGER WHENEVER HE EXPLAINED A QUESTION ABOUT ZEN.
 
A VERY YOUNG DISCIPLE BEGAN TO IMITATE HIM, AND WHENEVER ANYONE ASKED THE DISCIPLE WHAT HIS MASTER HAD BEEN PREACHING ABOUT, THE BOY WOULD RAISE HIS FINGER.
 
GUTEI GOT TO HEAR ABOUT THIS, AND WHEN HE CAME UPON THE BOY AS HE WAS DOING IT ONE DAY, HE SEIZED THE BOY, WHIPPED OUT A KNIFE, CUT OFF HIS FINGER, AND THREW IT AWAY.
 
AS THE BOY RAN OFF HOWLING GUTEI SHOUTED, 
 
”STOP!”
 
THE BOY STOPPED, TURNED ROUND, AND LOOKED AT HIS MASTER THROUGH HIS TEARS. 
 
GUTEI WAS HOLDING UP HIS OWN FINGER.
 
THE BOY WENT TO HOLD UP HIS FINGER, AND WHEN HE REALIZED IT WASN’T THERE HE BOWED.
 
IN THAT INSTANT HE BECAME ENLIGHTENED.
 
 
 
This is a very strange story, and there is every possibility that you will misunderstand it, because the most difficult thing to understand in life is the behavior of an enlightened person.
 
You have your own values, and you always look through those values. 
 
An enlightened person is in a totally different dimension, 
where he lives without values, 
 
where he lives without any criteria, 
where he lives without any morality, 
where he simply lives without the ego, 
 
because all values belong to the ego. 
 
 
 
An enlightened person simply lives. 
 
 
 
He is not manipulating his life, 
he is a white cloud floating. 
 
He has nowhere to go, 
nothing to achieve. 
 
Nothing is good for him and 
nothing is bad. 
 
He does not know any God, 
he does not know any Devil. 
 
He knows only life, and 
life in its totality is beautiful.
 
 
 
God is also ugly because it is a part, not the whole. 
 
The Devil is also ugly because that too is again a part and not the whole. 
 
 
God is not alive, 
the Devil is also dead, 
 
because life exists as a rhythm between the two – 
the good and the bad, 
God and the Devil. 
 
Life exists between these two poles. 
 
Life cannot exist with one polarity. 
 
These are the two banks between which the river of life flows.
 
 
An enlightened person has come to know this. 
 
He is neither against anything nor for anything. 
He responds moment to moment, without any judgment on his part. 
 
 
That’s why it is very difficult. 
An enlightened person always appears more or less like a madman. 
 
 
So the first thing to be understood is: 
don’t evaluate an enlightened person through your values – very difficult, 
because what else can you do?
 
 
 
I have heard that once a very great painter asked a doctor friend to come and look at one of the paintings he had just finished. 
 
The painter was thinking that this was the greatest creation he had ever attempted, this was the peak of his whole art. 
So, naturally, he wanted his doctor friend to come and look at it.
 
The doctor observed very minutely, looked from this side and that. Ten minutes passed. The artist became a little apprehensive, then he asked the doctor, 
 
”What is the matter? What do you think about this painting?”
 
The doctor said,
 
”It appears to me double pneumonia!”
 
 
 
This is happening to everybody, 
because a doctor has his own attitudes, ways of looking at things. 
 
He looked at the painting – he cannot look at anything except in his own fixed ways; without them he cannot look – he diagnosed. 
 
The painting doesn’t need any diagnosis; he missed. The beautiful thing turned into pneumonia.
 
 
This is how mind functions. 
 
 
When you look at a thing, 
you bring in your mind to color it. 
 
 
Don’t do that with an enlightened person, 
because that is not going to make any difference to the enlightened person, but you will miss the opportunity to see the beauty of it.
 
 
 
 
Second thing: an enlightened person behaves from a center, never from the periphery. 
 
You always behave from the periphery, 
you live on the periphery, 
the circumference. 
 
To you, the circumference is the most important thing. 
 
 
 
You have killed your soul 
and 
saved your body. 
 
 
 
The enlightened person can sacrifice his body, 
but cannot allow his soul to be lost. 
 
 
 
He is ready to die 
– any moment he is ready to die, that’s not a problem – 
but he is not ready to lose his center, 
the very core of his being.
 
 
 
To an enlightened person the body is just a means. 
 
 
 
So if it is needed, then even an enlightened person will tell you to, 
 
”Leave the body, but don’t leave your inner being.” 
 
This is how all tapascharya, all austerity, is born. 
 
The circumference is to be sacrificed for the center. 
 
Even if the head needs to be cut 
– if that is going to help you, if with your head your ego can fall – 
an enlightened person will tell you to drop the head, to cut it off: 
 
”Don’t carry this head if it helps the ego, 
because for nothing you are losing all.”
 
 
 
This has to be remembered: 
when you live from the center, 
the outlook is totally different. 
 
 
Then nobody dies, 
nobody can die – death is impossible. 
 
 
If you live from the periphery then everybody dies, 
death is the final end of everybody; eternal life exists nowhere.
 
 
 
Krishna talking to Arjuna in the Gita is really the center talking to the periphery. 
 
Arjuna lives on the periphery: 
he thinks of the body, 
he does not know anything about the soul. 
 
And Krishna talks from the center, and he says, 
 
”Don’t bother about these bodies. 
They have died many times and they will die many times. 
Death is nothing but a transformation, as if someone leaves his clothes, leaves his old house, and enters into a new house. 
This body is nothing, 
Arjuna, so don’t be bothered about it. 
Look within.” 
 
But how can Arjuna look within others if he has not looked within himself?
 
 
 
Remember this: 
this Zen Master Gutei, he is the Krishna. 
 
He lives from the center and behaves accordingly. 
 
And this incident happens to a disciple who is on the periphery. 
 
 
But Gutei would not have cut your finger, 
remember. 
 
 
The disciple was worthy of it, he had earned it – only then will a master go to such an extent. 
 
To go to such an extent the disciple must have learned, must have earned it, otherwise Gutei would not go that far. 
 
Even Arjuna was not so worthy as this disciple of Gutei, 
because 
Krishna talked to him – 
Gutei did something.
 
 
Remember the difference. 
 
 
A master only comes to do certain things to you when you have earned it; otherwise he will talk to you. 
 
 
Doing can be only when you are ready, 
when the moment is so near that it cannot be missed; nothing can be said, only something can be done. 
 
Because if you speak, time is needed; if you speak, then the other has to understand it. 
 
Something has to be done immediately, instantly. 
 
A master will do something only when he sees that you are just on the brink: now talking won’t help, now he has to push you. 
 
Now you are just at the door; a single moment gone and you may miss the door, and for many lives you may not be able to come to the door again.
 
Life is very complex. 
 
Rarely are you near the door. 
 
And if the master says, 
”Look, the door is here!” 
and starts explaining to you, by the time you have understood, the door is no more there. 
 
Life is constant movement. 
 
The master has to do something. 
 
Even if he thinks killing you will help, he will kill you. 
 
That’s why surrender is needed.
Surrender is not easy, because surrender means saying to a master, 
”From now on, my life and my death are yours.” 
Surrender means 
”I am ready. If you say, ’Die!’ I will die. I will not ask why.” 
If you ask why, there is no surrender, there is no trust. 
 
And in the ancient days, many people could become enlightened because they could surrender. 
 
Trust was in the very atmosphere, faith was all around, 
trust was flowering everywhere. 
 
You couldn’t pass a day without coming across a man who was a man of trust. 
 
And the moment you saw a man of trust, you felt jealous – he was such a beautiful person.
 
But nowadays it has become almost impossible to come across a man of trust. 
 
That beauty has disappeared. 
 
You come across doubters, skeptics, no-sayers; they are ugly but they are all around. And, by and by, you are also fed on doubt. 
 
 
From the very first day your mother gives you milk you are fed on doubt. 
 
The whole scientific device depends on doubt. You have to be skeptical, doubting; only then can science work.
 
Religion works in totally the opposite way. You have to be trusting, to be deeply a yes-sayer, then surrender is possible. 
 
This disciple of Gutei was a surrendered one, that’s why this incident became enlightenment for him.
 
 
 
 
Now we will enter this strange story. 
Each word is significant.
 
 
THE ZEN MASTER GUTEI MADE A PRACTICE OF RAISING HIS FINGER WHENEVER HE EXPLAINED A QUESTION ABOUT ZEN.
 
 
Masters never do anything unnecessarily, not even raising a finger. The unnecessary has disappeared. Only the essential exists with a master. He will not do a single movement, a single gesture, if it is not essential. The nonessential exists with ignorance; then, whatsoever you do is trivial, nonessential – if you leave it, nothing is lost.
 
Look at your life, whatsoever you are doing – if you leave it, what is lost? Nothing is gained through it – trivial things from the morning to the evening. And then you are tired of it, then you go to sleep, and in the morning you are again ready to do the same non-essentials. It is a vicious circle, one nonessential runs into another nonessential, they are linked with each other.
 
But you are so afraid to look at this triviality of life that you are always keeping your back towards it, because looking at the triviality of life makes you feel so depressed, 
”What am I doing?” 
And if you see that everything you are doing is absolutely useless, your ego is lost; because the ego can feel significant only when you are doing something significant. 
 
So you create significance in trivial things, and you feel you are doing great duties to the nation, to the family, to humanity – as if without you the existence will simply drop. Nothing is important, whatsoever you are doing – but you have to give significance to it, because through significance the ego is fed, strengthened.
 
In ignorance, everything is nonessential. Whatsoever you do, even your meditation, your prayer, your going to the temple – all is trivial. Even when you pray, it cannot be deeper than when you read your newspaper. Because it is not a question of prayer, it is a question of you. 
 
If you have depth, then whenever you move, whatsoever you do, the act will have depth. 
 
If you don’t have depth, even if you go to the temple it makes no difference; you enter the temple the same way as you enter a hotel. You are the same, temple and hotel can’t make much difference.
 
Give a child a very costly toy made of diamonds, and he will do the same with that costly toy as he was doing with ordinary toys, because he is a child. He will play with it for a few moments, then throw it in the corner and go away.
 
Your depth brings depth to your actions. 
 
Even when an enlightened master raises his finger, it is meaningful, it is very significant. 
 
Why did this Gutei used to raise his finger... 
 
 
WHENEVER HE EXPLAINED A QUESTION ABOUT ZEN? 
 
 
Not always – whenever he explained a question about Zen he would raise a finger. 
 
Why? – because he was explaining and he was also showing, because whatsoever you ask about religion, one raised finger is the answer.
 
All your problems arise because you are not one. 
 
All your problems arise because you are fragmented. 
 
All your problems arise because you are a disunity, a chaos – not a harmony. 
 
 
And what is Zen, 
and what is yoga, 
and what is meditation? 
 
 
Nothing but coming to a unity. 
 
 
The very word yoga means unity, to be one, total, whole.
 
 
So Gutei was explaining about Zen: 
that explanation was secondary, 
the raised finger was the primary thing.
 
He was saying something and he was also showing it. 
 
This is how an enlightened person lives: he says and he shows. 
 
His very being, 
his gestures, 
his movements, 
show what religion is.
 
If you cannot see, 
if you are blind or if you have lost that dimension of understanding, of looking, 
then you hear only the words. 
 
But if you know how to look, no words are needed. 
 
Words are useless, they can be dropped, they are secondary. 
 
But the raised finger cannot be dropped; 
that is primary, that is the only answer. 
 
All those who have known, anywhere in the world, they have all raised a finger. 
 
They are talking about the one 
and 
you are living in the many.
 
When you live in the many, problems are created, because living in the many, moving in many directions simultaneously, you become split into parts, then you are not together. Then one desire leads to the south, another desire leads to the north. Then one part of the mind loves, and another part of the mind hates. Then one part of the mind wants to accumulate wealth, and another says, ”This is useless. Renounce!” Then one of the minds wants to meditate, become deep, become silent, and another mind says, ”Why are you wasting your time?”
 
 
 
I have heard: Once it happened a man renounced the world while he was very young and went to the Himalayas. For almost twenty years he meditated there. Now he was forty. He was sitting and meditating, sitting and meditating, not doing anything at all. Even birds, wild animals, by and by lost their fear with him. He was there, and a very peace-loving man, simply sitting. Animals would come and sit, and when they would have to go hunting they would leave their children near him to be taken care of. His hair became very long, and birds would nest in his hair and put their eggs there, and he would have to take care of them.
 
After twenty years he got fed up with the whole thing. He said, ”If I am to take care of others’ children – animals, birds – why shouldn’t I go and marry a woman and take care of my own children? This is absurd, and I am reaching nowhere. These twenty years are lost. Now there is no more time to lose because I am forty, and soon life will have ebbed!”
 
What was the problem? 
 
He was really meditating. 
 
What was the problem? 
 
Twenty years is a long time but the mind was continuously fragmented. One part was meditating, another was continuously saying, ”Useless! Why are you wasting your time? Others are enjoying. Go back down to the plains. People are happy there – dancing, drinking, eating, lovemaking. The world is in ecstasy and you are sitting here like a fool.” Continuously hearing this other fragment for twenty years, the first fragment by and by became weak.
 
On the surface he was repeating mantras: Ram, Ram, Ram. But deep down this was the mantra: the other part of the mind continuously saying, ”Useless! Sitting like a fool and everybody is enjoying life and now life is ebbing. Soon you will not be able to enjoy anything. You are becoming old.” This was the real mantra. On the surface, ”Ram, Ram, Ram” – but deep down this was the real mantra.
When your mind is divided you cannot pray, you cannot meditate, because one part is always against it, and sooner or later it will win. 
 
Remember this: that the part that is engaged is losing energy every moment. And the part that is not engaged, but which is the critical part, is not losing any energy. Sooner or later it will be more powerful.
 
You love a woman, and another part hates. You may hide this – everybody is hiding the other part – but unless you become enlightened, the other part is there. This loving part sooner or later will become weak because it is being used, the energy is being applied. The other hidden part, the hate part, will become stronger. So every marriage leads to divorce. Whether you do it or not, that’s another thing – but every marriage becomes divorce, unless you are married to an enlightened person: that is very difficult.
 
This man got fed up one day. He started coming down from the Himalayas. He thought, ”From where to start?” – he had completely forgotten the ways of the world, he had been so long out of it. ”From where to start? If you want to start in the world you will need a guide, just like when you want to start in the other world you will need a guide. Who can be the right guide for this world?” Then he remembered that in the old days, kings would send their sons and princes to the prostitutes, just to learn how to enter this world.
There is no better guide than a prostitute for this world. She is the world incarnate. Even love has become business for her – this is the last thing in the world – even love has become a profession, a commodity; she sells love. Money has become more important than love. This is the last thing in the world, and this can become the door.
So he went directly to a prostitute. It was evening and the prostitute was getting ready to go to a king. She said, ”You are welcome, but I have been invited by a king. He is a miser, I don’t hope that we will get much, but still – who knows? Sometimes even misers give. You come with us, come along.” So the monk followed.
 
The whole night the prostitute danced, sang. And the king sat silently, he didn’t give anything to her. Then the last part of the night was dissolving, soon there would be light, and the woman was so tired. She said in a song to her husband, who was playing the tabla, she said to him, ”Now, all that can be done I have done.” She sang it so no one would understand, it was in a code. She said, ”All that can be done I have done; now there seems to be no hope. It is better we should leave.”
 
Inside his mind the monk thought, ”This was the situation I was in: all that can be done has been done. Nothing more can be done, and I should leave.” So he listened very attentively.
 
The husband said, ”All that we could do we have done, but still a little of the night is left. Who knows? We must see the whole business through, so a little more, be patient.”
 
Hearing this, the monk thought, ”Now what should I do? Maybe I was just on the brink when I left the Himalayas – a little more patience.”
 
He had only one blanket, he was naked underneath. He became so enthralled that he threw his blanket at the feet of the prostitute and started running out of the palace. 
 
The king said to him, ”Stop! This is against the convention.” This was the convention, that when a rich man is present, he should contribute first; otherwise this is insulting – that a king is present and this man has contributed.
 
The monk said, ”You can kill me if it is against the convention, but she has saved my life. And it was such an ecstatic moment for me, I had to give something. I have nothing else, just that blanket, and I cannot wait for you, I am going to the Himalayas. This woman and this man who is playing the tabla, they have revealed a secret to me: a little more patience.” And it is said the man became enlightened then and there. 
 
He never went to the Himalayas. Just coming down the steps of the palace he became enlightened.
 
 
 
What happened? 
 
For the first time the two parts became one. 
 
That is the meaning of patience. 
 
Patience means, don’t allow the other part to fight; patience means that you are ready to wait for infinity. If you are ready to wait for infinity, there is no possibility for the other part to say, ”It has not happened yet.” There is no sense in saying, ”Why are you wasting your life?” If you are ready to wait for infinity then nothing is wasted. And if your waiting is eternal, infinite, then the other part cannot have its say.
 
 
Oneness is needed – when the other is not in a constant fight. 
 
 
That’s why Gutei would always use his one finger whenever he was explaining Zen. He was saying, 
 
 
”Be one! – and all your problems will be solved.”
 
 
There are many religions, 
many paths, 
many methods, 
but the essential point is the same: 
 
 
become one. 
 
 
Whatsoever you choose, become one. 
 
If you can be infinitely patient you will become one. 
 
If you can surrender totally you will become one. 
 
If you become completely silent you will become one. 
 
If there are no thoughts and you are in meditation you will become one. 
 
If you pray to God and the prayer becomes so intense that even the person who is doing it is no longer there, the person who is saying the prayer has become dissolved in the prayer, one has remained – that will do.
 
 
Digging in the garden, if you can dig in such a way, so totally absorbed that nobody is left there who is the digger – you have become the digging, the actor has become the action, 
the observer has become the observation, 
the meditator has become the meditation – suddenly all the waves of maya disappear, all illusions drop
You are raised to a different layer, a different plane of being. 
You have come to the one.
 
 
When you are one, you reach the one. 
 
 
When you are many, you are in the world. 
 
 
The world is many and God is one. 
 
 
But to know that one you will first have to become one, otherwise you cannot know it. 
Only when you become like it will you be able to know it.
 
 
THE ZEN MASTER GUTEI MADE A PRACTICE OF RAISING HIS FINGER WHENEVER HE EXPLAINED A QUESTION ABOUT ZEN.
 
 
Zen is from a Sanskrit term, it comes from dhyan. 
It is the Japanese form of dhyan. 
When Bodhidharma took the teachings of Buddha to China, dhyan, in Chinese, became ch’an. 
When ch’an was taken to Japan, it became zen. 
But the original term is dhyan. 
 
Whenever Gutei would talk about dhyan, meditation, he would raise his one finger. 
 
Oneness is dhyan, 
 
oneness is all that has to be achieved – that is the end.
 
 
A VERY YOUNG DISCIPLE BEGAN TO IMITATE HIM...
 
 
Of course he must have been very young, because only children imitate. The more mature you are, the less you imitate; the more immature, the more imitation. If you are still imitating you are juvenile, you have not gained maturity, you have not yet become grown-up. 
 
What is ’grown-upness’? 
 
If you ask me I will say, the realization that you have to be yourself and not an imitator, this is what maturity is.
 
If you look within yourself you will not find this maturity. 
 
You have been imitating others. 
 
Somebody has got a new car – suddenly you start imitating, you need a new car. 
Somebody has got a bigger house, you need a bigger house. 
The neighbors are constantly on your nerves. 
They are getting this and that, and you have to imitate. And when you imitate you are just like monkeys. 
 
Don’t imitate. 
Be mature. 
 
Because imitation cannot lead you anywhere. 
 
Why? 
What is imitation, and what is being true and authentic?
 
Imitation means the ideal comes from without, it is not your desire. It is not something happening within you, it is not your nature flowering in it. Somebody else has given you the ideal and you go after it. If you don’t achieve it, you will be in misery because you have not achieved the ideal. If you achieve it, you will be in misery because this was never your ideal. You never wanted it, because it never happened to your inner being.
That’s why so much misery exists in the world: people imitating others. If they fail, they are in misery because they think they have not attained. If they succeed, they are in misery. 
 
Remember, nothing fails like success – if it is an imitation, nothing fails like success. You may reach the goal after a long strenuous journey, effort, wastage of time and energy, and then suddenly you find, ”I never wanted it – it was somebody else. I borrowed the ideal.” Don’t borrow the ideal, this is childish.
 
 
A VERY YOUNG DISCIPLE BEGAN TO IMITATE HIM...
 
 
He must have been very young, juvenile, childish. He started imitating him.
 
 
... AND WHENEVER ANYONE ASKED THE DISCIPLE WHAT HIS MASTER HAD BEEN PREACHING ABOUT, THE BOY WOULD RAISE HIS FINGER...
 
 
The same way, 
the same gesture as the master used to do. 
 
People must have enjoyed it, they must have laughed. The boy was a perfect imitator; he would make the same face, he would raise the same finger, he would try to look the same way. He acted it well.
Howsoever efficient you become in acting, you will remain immature. 
 
 
Be true to yourself, 
even if you are not so efficient there. 
 
But be true to yourself, 
because your own truth can lead you to the ultimate truth. 
 
Nobody else’s truth can be your truth.
 
 
You have a seed within you. 
Only if that seed sprouts and becomes a tree will you have a flowering; then you will have an ecstasy, a benediction. 
 
But if you are following others that seed will remain dead. 
And you may accumulate all the ideals in the world and become successful, but you will feel empty, because nothing else can fill you 
 
– only your seed, when it becomes a tree, will fill you. 
 
You will feel fulfillment only when your truth has come to flower, never before.
 
And people may appreciate your success in imitation – they always appreciate it. 
This boy must have been appreciated in the monastery because he was acting just like the master. He must have become famous. Imitators become famous, but they don’t know they are committing suicide. But you can commit suicide if people appreciate you.
 
 
I have heard about an actor who died. His funeral attracted many, many people, many thousands. His wife was beating her chest and crying and screaming. And when she saw thousands of people had come she said, ”If he had known this – that so many people will come – he would have died sooner.”
 
You can commit suicide if you are appreciated. 
You all have committed suicide, because imitators are always appreciated. 
 
Authentic people are never appreciated, because an authentic person is a rebel. 
He will not imitate anybody. He will say, ”I am not going to be a Buddha, I am not going to be a Krishna or a Jesus. One is enough! One Jesus is enough, why imitate?” And the second Jesus, howsoever beautiful, will be just a carbon copy – nothing worthwhile. Why imitate Jesus? And God is not going to ask you in the end why you didn’t become a Jesus. He will ask why you didn’t become yourself.
 
 
I have heard about one Hassid mystic: he was a very poor man, Magid was his name. Nobody knew much about him, but he was a real, authentic man. He was dying, and somebody said, ”Magid, have you prayed to God to make you like Moses?”
Magid opened his eyes and said, ”Stop! Don’t say such things while I am dying. Because God is not going to ask me, ’Why didn’t you become a Moses?’ He will ask, ’Magid, why didn’t you become a real Magid?’”
The others didn’t follow it, they couldn’t understand, because this seems insulting to Moses. It is not. It is not insulting to Moses. Moses became Moses, that is his beauty. Magid has to become Magid, that is his beauty. 
 
And only beauty can be offered, only a flowered being can be offered to God. 
 
How can God ask a rose, ”Why didn’t you become a lotus?” 
How can God be so foolish as to ask a rose, ”Why didn’t you become a lotus?” 
No! 
He is not so foolish as you think. He will ask the rose, ”Why didn’t you flower totally? Why have you come like a bud and not like a flower?”
 
 
Flowering is the thing. 
 
 
Whether you are a lotus or a rose, or some unknown, unspecified flower makes no difference. 
Who you are is not the point. 
Whether you come to the divine door as a flower, flowered, open, or you have come still closed....
 
 
A VERY YOUNG DISCIPLE BEGAN TO IMITATE HIM...
 
 
And whenever you go to a master, that is the possibility – the first possibility: you will start to imitate him. 
 
Remember, 
this is not going to help, 
this is dangerous. 
You are committing suicide. 
 
Understand a master, drink his presence, eat his presence as much as you can, but don’t become an imitator. Don’t become false.
 
 
GUTEI GOT TO HEAR ABOUT THIS, AND WHEN HE CAME UPON THE BOY AS HE WAS DOING IT ONE DAY, HE SEIZED THE BOY, WHIPPED OUT A KNIFE, CUT OFF HIS FINGER, AND THREW IT AWAY.
 
 
Seems to be a very hard master, very cruel. 
Masters are cruel, otherwise they cannot be of any help to you. They are cruel because they have such a deep compassion. 
 
Why did the master cut the finger? 
Any less hard and he won’t be a help to this boy. Something very severe is needed, something is needed which goes to the very heart. This has to be understood.
 
You listen to me. 
If you have come just as a curious person it cannot go very deep. 
If your curiosity is just intellectual, to know what I am saying, it cannot go very deep; you will not be able to understand what I am saying at all. 
 
If life has given you much suffering and you are here because of that suffering, to understand how to transcend it, then what I am saying will go deep. 
 
Suffering gives you depth. 
 
Suffering leads you towards the center.
 
If you are in love with me, not an intellectual relationship – which is not a relationship at all – but a love relationship, if you are emotionally in touch with me, then it will go still deeper. Because when you love a person you hear him from the heart, not from the head. 
And the head is the most rotten thing, rubbish, just a wastepaper basket – nothing much. All that is rubbish, you go on gathering in the head. Rubbish never enters the heart, it accumulates in your head. Only that which is very essential goes in the heart.
So if you are here just as a curious person, just out of curiosity, you will hear me, but just on the surface. It is not going to do much to you. If you are here because you have suffered – if you have come not as a curious person, but as a person who has known life, its suffering, and a maturity has come to you and you want really to be transformed – then you will hear from a deeper depth.
 
But the depth can go still deeper. 
 
If you are in love with me, if you have a trust, then you will be more open – because only trust can be open; otherwise you are always afraid and you are always closed. When you are totally open – you have suffered, life has given you a depth and then you trust, you are totally open – then the thing can go immediately to the very heart. You will never be the same again once you hear it.
 
 
GUTEI GOT TO HEAR ABOUT THIS... 
 
 
A master always comes to know who are the imitators. There is no need to... they are so apparent, so obvious. I know very well who are the imitators here. An imitator cannot deceive the one he is imitating. He can deceive anybody else, but he cannot deceive the one he is imitating. His falsity is so patent.
 
People come to me and they repeat my own words, my gestures, and they think they can deceive me. They can deceive others but they cannot deceive me, because their words are so shallow. 
 
You can repeat the same words, there is no problem: the word is not the problem – how much depth you bring to the word, that comes from your being. The word can be used by anybody.
 
You can chant the whole Gita, but those words will not be the same as they were when they came out of Krishna. 
 
You can repeat the whole Bible, but when those words were used by Jesus they had a tremendous energy, a transforming force – because Jesus was in those words. In every word his being was moving towards you. You can use the same words.... On every Christian pulpit millions of priests are repeating the same words – the Sermon on the Mount – and the words are so shallow, and they have done such a disservice. It would have been better that they were not repeating, because when you go on repeating certain words, they lose the magic. They become so used, people become so used to hearing them, that they become almost useless, cliches.
 
Gutei must have come to know about this boy who was imitating him, and... 
 
 
AS HE WAS DOING IT ONE DAY, BE SEIZED THE BOY, WHIPPED OUT A KNIFE, CUT OFF HIS FINGER, AND THREW IT AWAY.
 
 
Too severe! 
But the man Gutei must have been very, very compassionate. 
Only out of compassion you can be so hard. 
Difficult to understand, because we think that cruelty, hardness, is always there where there is no compassion. 
 
No – then you will not understand an enlightened person. An enlightened person will not be hard on you if he has no compassion – why bother? But he will be hard on you because he bothers, he is worried about you, he wants to help you. And less than that won’t do.
 
What happened? When he whipped out his knife, took the boy’s finger, cut it off and threw it away, what happened? When the boy must have seen that the master had whipped out the knife, what must have happened? If suddenly somebody comes at you with a knife, what will happen? 
 
Thinking stops. 
You cannot think, it is so new, so novel. 
The old mind simply stops, it cannot work it out, ”What is happening?” 
And nobody could have ever conceived that Gutei will bring a knife.
 
Can you think of me some day bringing a knife? It was so impossible, incomprehensible. 
 
And Gutei whipped out the knife – and the boy must have been in shock: thinking stopped. It was a great shock-treatment. And coming from Gutei, almost impossible. The boy could not have ever dreamed... and then not only taking it out, he cut off the finger.
 
When Gutei was cutting off the finger, when the finger was severed from the hand, what was happening to the boy inside? 
 
For the first time in his life he was attentive without thought. He could not be sleepy in such a moment. Who can be sleepy when somebody is cutting off your finger? You cannot be sleepy. The pain was so intense, the suffering was so intense, that in a sudden moment the boy was transformed. He was no more a child, he became mature.
 
It can happen in an instant; it may not happen in many lives. 
 
The imitation has to be cut severely. 
The finger is just symbolic. 
 
The boy has to be hit severely, and the suffering must go to the very root of his being, and it should be so unknown that he cannot make a theory out of it. He cannot think about it, he cannot philosophize. He was simply shocked. 
 
The mind can move nowhere. 
 
He must have looked with fresh eyes for the first time, without thoughts floating in them. And the pain was so severe and so sudden that it must have gone to the very heart.
 
 
Remember, 
pleasure never goes so deep as pain. 
Pleasure never goes so deep. 
It cannot go, the very nature of pleasure is superficial. 
So people who live in pleasure always remain superficial, shallow. You cannot find a depth in a rich man – difficult. 
 
You may find it in a beggar; you may not look at the beggar, because you think he is a beggar – but don’t be too fixed in your ideas. When a beggar passes you, look! He has suffered much, he has lived in much pain, and pain gives depth. A rich man is always shallow, superficial: he has lived in pleasure. Pleasure cannot go very deep.
In this suffering the pain was severe, and so sudden that the mind stopped revolving and the heart was hit.
 
 
AS THE BOY RAN OFF HOWLING, GUTEI SHOUTED, ”STOP!”
 
 
This is what I have been saying to you. 
 
But first you must be in deep suffering and howling, only then the ’stop’ can be meaningful. The boy ran howling in suffering and pain, and Gutei shouted, ”Stop!” If the ’stop’ is shouted in the right moment, it works deeply.
Suddenly he stopped! What happened in this stopping? There was no more pain. If you stop suddenly, the whole attention moves towards the sound ’stop’. 
 
The body is left behind, 
you become attentive. 
 
And when you are so attentive, the body cannot disturb, the body cannot divert. 
 
The finger was not there, blood was flowing – the pain was there, but this ’stop’ took his whole attention towards the master.
 
When attention is not there, there is no pain. 
 
Pain exists not in the body but in the attention. 
 
If you are ill, lying down on the bed, what do you do? You continuously pay attention to your illness. You are feeding it. And something has to be done about it, because it has become a very great problem all over the world.
Doctors suggest, whenever you are ill, ”Lie down and rest.” But what will you do in rest? You will pay attention to the pain, and then you are feeding it. Attention feeds it. Then you are continuously thinking about it; it becomes a mantra, a chanting inside that, ”I am ill, I am ill. This and that is wrong.” 
 
Complaints – and you go all over the body again and again and you try to find what is wrong. And that becomes a brooding, a very pathological thing. And this may become a continuity for the illness. You will get hypnotized by the illness.
If too much attention is paid to illness, you become a hypnotic victim. If you continuously complain about something, it becomes a vicious circle; you complain, then you are inviting it, because every complaint means you are again giving attention, again attention. It becomes a repetitive thing.
 
 
I have heard – and many times it has happened: a person was ill, paralyzed; for fifteen years he couldn’t walk. Then one night, suddenly, the house caught fire. There was a fire, the house was burning, and everybody ran out of it. The man forgot that he was paralyzed, so he also ran out of the house. Only outside the house, when his family found him running and coming out, they said, ”What! You are paralyzed!” – the man fell down.
 
 
What happened?
In this particular moment of intense accident – the house is on fire – the man forgot for a moment that he was paralyzed. If you can forget your illness, the illness will disappear sooner than any medicine can help. If you cannot forget it, if you continuously brood about it, then you are playing with the wound. The more you play with the wound the deeper it goes.
 
 
What happened when Gutei shouted, ”Stop!”? The boy looked at Gutei, the howling stopped, the pain disappeared, as if the finger had not been cut off.
 
 
THE BOY STOPPED, TURNED AROUND, AND LOOKED AT HIS MASTER THROUGH HIS TEARS.
 
 
The eyes were filled with tears, he was howling and crying and weeping. He stopped! The pain disappeared, but the tears cannot disappear so soon – they were there.
 
 
GUTEI WAS HOLDING UP HIS OWN FINGER. THE BOY WENT TO HOLD UP HIS FINGER, AND WHEN HE REALIZED IT WAS NOT THERE, HE BOWED.
IN THAT INSTANT, HE BECAME ENLIGHTENED.
 
GUTEI WAS HOLDING UP HIS OWN FINGER – 
 
 
a very intense moment of awareness, 
a very great device, 
a situation created by the master. 
 
Mind is no longer there, 
the pain has disappeared,
 
because attention has been called somewhere else... as if the boy will not be able to breathe in this situation. 
 
”Stop!” – and the breathing has stopped, and the thinking has stopped, and he has forgotten that he has no finger now. 
 
Just out of old habit, when the master raised his finger, he raised his – which was not there. 
 
It shows that he has completely forgotten what has happened.
 
In that moment he was not the body, 
 
otherwise how can you forget? – the pain, and your finger has been cut off, and you are bleeding, and your eyes are still filled with tears, and just a moment before he was howling. This ”Stop!” caused a miracle.
 
 
THE BOY STOPPED, TURNED ROUND, AND LOOKED AT HIS MASTER THROUGH HIS TEARS.
GUTEI WAS HOLDING UP HIS OWN FINGER.
 
 
Just out of old habit he always used to hold his finger up whenever the master was teaching his disciples about Zen. He would stand by the side of the chair, or at the back of the chair, and when the master would hold his finger up, he would also do the same. It had become so automatic. Body is an automaton, it is a mechanism, it is mechanical.
 
 
THE BOY WENT TO HOLD UP HIS FINGER, AND WHEN HE REALIZED IT WAS NOT THERE – 
 
 
and then he saw, and the finger was not there – 
 
 
HE BOWED.
 
 
What happened? 
Why did he became so grateful and bow? 
 
Because for the first time he realized he is not the body. 
 
He is the attention, 
not the body; 
 
awareness, 
not the body; 
 
consciousness, 
not the body. 
 
The finger is not there, 
the pain has disappeared, 
the howling is no more. 
 
Thinking is not moving around the wound; 
he is not brooding about it at all. 
 
He is no more a body, 
he is not embodied. 
 
He simply is out of his body. 
 
For the first time he realized he is a soul, a consciousness – the body is just the house.
 
 
You are not the body; you are in it, but you are not the body. 
 
 
If your attention can come to such intensity, you will realize that you are not the body. 
 
And once you realize you are not the body, you know you are deathless. 
 
 
Who can cut your finger off? 
How can one be violent to you? 
Nobody can destroy you. 
 
That’s why he bowed to the master in deep gratitude: ”You have given me this opportunity to know the deepest level of my being, which is immortal.”
 
 
IN THAT INSTANT HE BECAME ENLIGHTENED.
 
 
What is enlightenment
 
Coming to understand, 
coming to realize that you are not the body. 
 
You are the light within; 
not the lamp
but the flame. 
 
You are neither body nor mind. 
Mind belongs to the body; 
mind is not beyond body, 
 
it is part of the body – most subtle, most refined, but it is part of the body. 
 
Mind is also atomic, as body is atomic. 
 
You are neither the body nor the mind – then you come to know who you are. 
 
And to know who you are is enlightenment.
 
When Gutei cut off the finger of the disciple, 
the pail, the old pail fell down, broken, the water flowed out – no water, no moon! 
 
The disciple became enlightened.
 
But Gutei must have waited for the right moment. 
 
For many, many years this young man had been doing that. 
He waited, waited. 
 
You cannot force the right moment, 
it comes when it comes. 
 
You grow towards it, 
you grope towards it, 
and the master waits. 
 
When it comes, 
when it is there, 
anything can become the excuse, anything. 
 
Even a shout, ”Stop!” and the old pail is broken. 
 
Suddenly reflections disappear because there is no water. 
 
You look at the real moon, 
you are enlightened.
 
Enlightened means you have realized who you are. 
 
 
 
Enough for today.
 
 
 
sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
f:id:premmashal:20170713113636j:image 
 
この講話の和訳された本はこちらです。
f:id:premmashal:20170705201406j:image
 

Osho Transformation Tarot

Osho Transformation Tarot

  • Osho International Corp.
  • エンターテインメント
  • ¥960

 
f:id:premmashal:20170713115545j:image