osho tarot

osho transformation tarot

Anger

Anger 
 
f:id:premmashal:20170816145913j:image
 
Anger / 怒り
 
The monk with the ungovernable temper
 
僧の制御できない怒り
 
 
 
commentary(解説)…
 
怒りを感じるときは、
それを誰か他の人に投げつけても、
自分の内側に抑圧してもいけません。
 
When you feel anger,
don't throw anger on anybody
and
don't suppressed anger into you.
 
 
怒りは慈悲へと変容します、
なぜなら
怒りは慈悲と同じエネルギーだからです。
 
この怒りに動いている同じエネルギーは
怒りに動いていないとき
その同じエネルギーを慈悲へと変容します。
 
Anger transformed becomes compassion
because the energy is the same.
 
This is the same energy that was moving in anger; 
now it is not moving in anger,
the same energy is transformed into compsssion.
 
 
怒りは慈悲へと変容します。
その変容に必要な2つのことは
 
1つは、
怒りをコントロールしたり抑圧するのではなく、
怒りを表現して開放すること
(他の誰かに投げつけるのではなく。)
 
2つ目は、
自分の内側にある
怒りに『気づき』『観る(観照)』ことです。
 
The first thing in transformation then is to express anger so that it is released, but not on anybody.
 
The second thing to remember: be aware.
Aware and watch.
 
 
 
osho…
 
禅を学んでいる学侶が盤珪(ばんけい) を訪れ、こう言った、
 
「導師 master、
私には制御できない短気があります
…どうしたら治すことができるでしょうか?」
 
 
「その短気を私に見せてごらん。」
盤珪は言った、
「それはおもしろそうだ。」
 
 
「たった今それはありません。」
学侶は言った、
「ですから、それを見せることはできません。」
 
 
「それでは、」
盤珪は言った、
「それを持っているときに
私のところに持って来なさい。」
 
 
「しかし、ちょうどそれを持つことが起こるときに
それを持って来ることはできません。」
 
学侶は異議を唱えた。
 
「それは予期せずに湧きますし、
あなたのところに持って来る前に
きっと私はそれを失ってしまうでしょう。」
 
 
「そういうことであれば、」
盤珪は言った、
「短気はあなたの本性の一部であることはできない。
 
もし本性であれば、
あなたはいつでも私にそれを見せることができるはずだ。
 
あなたが生まれたとき
あなたはそれを持っていなかった、
そして
あなたの両親はそれをあなたに与えなかった
 
…だから、短気は外側から
あなたの中へとやって来たにちがいない。
 
私はこう示唆しよう、
それがあなたの中にやって来たときは必ず、
その短気が
耐えることができなくなり、
逃げ出すまで、
あなたはあなた自身を棒で打ちなさい。」
 
 
 
 
本性 true nature はあなたの永遠の性質だ。
 
あなたはそれを持つことはできないし
あなたはそれを持たないこともできない
 
それはやって来ては去って行くものではない…
それはあなただ。
 
どのようにしてそれはやって来ては去ることができるだろうか?
 
それはあなたの存在 being だ。
 
それはあなたの基礎 foundation だ。
 
それは
ときどき在ることはできず
ときどき不在になるのではない、
 
それはいつもそこにある。
 
 
だから
これは真理、本性、タオ(道)を探究する者のための基準となるべきだ、
 
私たちは
私たちの存在 being の中にある
いつもいつも同じままである
その要点に来なくてはならない…
 
あなたが生まれる前からそれはそこにあり、
あなたが死ぬときもそれはそこにある。
 
 
それが中心 center だ。
 
 
円周(周辺)circumference は変化がある、
中心 center はまったく永遠のままだ、
それは時間を超越している。
 
 
なに1つもそれを影響することはできない、
なに1つもそれを変更することはできない、
なに1つもそれに本当に触れることすらできない、
 
 
それは外側の世界の手に届く全てを
超越したままだ。
 
 
 
海へ行ってごらん、
海を見てごらん。
 
何百万の波がある、
しかし
深海の深いところは
いつも穏やかで静かなままだ、
瞑想 meditation の深みだ、
 
混乱は表面だけにある、
海が外側の世界、風と出会う表面だけだ。
 
そうでなければ、
内側のそれ自身はいつも同じままだ、
波紋すらない、
けっして変化しない。
 
 
それはあなたと同じだ。
 
 
あなたが他者と出会う表面(表層)だけに
混乱、不安、怒り、執着、貪欲、欲望がある
…風がやって来てあなたに触れる表面(表層)だけに。
 
 
もしあなたが表面(表層)に留まるなら
あなたはこの変化の現象を変えることはできない、
それはそこ(表層)にあるままだろう。
 
 
多くの人々は”そこ(表層)”でそれを変化しようと試す、
”そこ”=表層(円周 circumference)で。
 
彼らはそれと戦う、
彼らは波を起こそうと試さない。
そして
彼らの戦いをとおして波はもっと起こる、
なぜなら
海が風とともに戦うとき
そこにはもっと混乱があるようになる、
さて、風だけが混乱を増すことを助けるだけでなく、海までがそれを助ける
…表層は途方もないカオス(混沌)となるだろう。
 
 
全ての道徳家たちは
表層(表面)において
人間を変化しようとする。
 
あなたの性格は表層(表面)だ、
あなたはどんな性格も世界の中に持ってこない、
あなたはまったく無性格で、
まっさらの空白の紙でやって来る、
そして
あなた方の呼ぶ性格は全て
他人によって書かれたものだ。
あなたの両親、社会、教師、教え…全てが条件付けだ。
 
 
 
あなたはまっさらな空白の紙でやって来る、
なんであれ、あなたに書かれたものは他人からやって来る。
だから
あなたが再びまっさらな空白の紙にならない限り、
あなたは本性がなんであるのかわからないだろう、
あなたはブラフマン梵天)がなんであるのかわからないだろう、
あなたはタオ(道)がなんであるのかわからないだろう。
 
 
 
だから、
問題は
どのようにして強い性格を持つのか
ということではない、
 
問題は
どのようにして怒らない状態に到達するのか
ということではない、
 
どのようにして動揺しないでいるか
ということではない、
 
…そうではない、
それは問題ではない。
 
 
 
 
問題は
いかにして
あなたの意識 consciousness を
表層 periphery から中心 center へと
変えるか、だ。
 
 
 
 
すると突然
あなたは見るだろう
あなたはいつも穏やか calm であることを。
 
 
すると
あなたは表層 periphery を遠くから見ることができる、
その距離は広大で無限なので、
それがあなたに起こっていないかのように
あなたは見ることができる。
 
 
実際、
それはけっして”あなた”に起こってはいない。
 
たとえあなたが表層の中で完全に自分を見失っているときでさえ、
それはけっして”あなた”起こっていない、
 
あなたの中の何かは乱されないままだ、
あなたの中の何かは超越したままだ、
あなたの中の何かは観照者のままだ。
 
 
 
だから、
探究者にとっての全ての問題は
 
いかにして自分の関心を
表層 periphery から中心 center へと移動するか、だ。
 
いかにして不変(存在 being)に溶け込み1つになるか、だ。
 
そして
ただの境界線に
自分を同一化しないようにするか、だ。
 
 
 
境界線上では他者はとても大きい影響力を持つ、
なぜなら
境界線上では変化は自然だからだ。
 
表層 periphery は変化し続ける
…覚者 buddha の表層 periphery でさえ変化する。
 
覚者 buddha とあなたの違いは
性格の違いではない…
 
 
 
覚えておきなさい、
 
それは道徳の違いではない、
それは徳か不徳の違いではない、
 
その違いは
あなたがどこに立っているかだ。
 
 
 
あなたは表層 periphery に立っている、
覚者 buddha は中心 center に立っている。
 
覚者 buddha は自身の表層 periphery を遠くから見ることができる、
 
あなたが覚者 buddha を叩くとき、
覚者 buddha はそれを
あなたが他の誰かを叩いているように見ることができる、
なぜなら
中心 center はとっても遠いからだ。
 
それはまるで
覚者 buddha が丘の上にいる観照者で
谷の中で起こっているなにかを
見ることができるようなものだ。
 
これが最初に理解することだ。
 
 
 
 
二番に理解することは、
コントロール control はとても簡単で、
変容 transform はとても難しい
ということだ。
 
 
コントロール control はとても簡単だ。
あなたはあなたの怒りをコントロールできる、
しかし
あなたは何をしようというのかね?
…あなたは怒りを抑圧するだろう。
 
そして
あなたがあるものを抑圧するときどうなるだろう?
 
その動きの方向が変化する、
怒りは外側に出て行っていた、
そして
もしあなたが怒りを抑圧したら、
怒りは内側に入って行きはじめる
…ただその方向が変わる。
 
 
そして
怒りが外側に出るのは良い、
なぜなら
毒は外側に投げ出されることが必要だ。
 
怒りが内側に入って行くのは悪いことだ、
なぜなら
あなたの身体全体のマインド(思考)の構造が怒りによって毒されるからだ。
 
 
そして
もしあなたが長い間怒りを内側に入れることを行い続けると
…みんなが行なってきているように、
なぜなら
社会はコントロール control を教え、
社会は変容 transformation を教えない。
 
 
社会は言う
『あなた自身をコントロールしなさい。』
 
 
そしてコントロール control をとおして
全てのネガティブ(負)なものが
無意識 unconscious の中に深く深く投げ入れられてきた、
すると
それらはあなたの内で一定(不変)のものとなる。
 
すると
あなたはときどき怒り、
あなたはときどき怒らない
という質問(問題)ではなくなる
…あなたが単に怒りそのものだからだ。
 
ときどきあなたは怒りを爆発し
ときどきあなたは怒りを爆発しない
 
なぜなら
そこには口実がない、
または
あなたは口実を探さなくてはならない。
 
覚えておきなさい、
あなたは口実をどこにでも探し出すことができる。
 
 
 
私の友人の1人である男が彼の妻と離婚したがっていた、
だから彼は結婚問題専門の弁護士のところへ行った、
そして彼は弁護士に尋ねた、
「どんな理由があれば妻と離婚できますか?」
弁護士は彼を見て言った、
「あなたは結婚していますか?」
男は言った、
「はい、もちろんです。」
弁護士は言った、
「結婚は充分な理由です。
他の理由を探す必要はありません。
もしあなたが離婚したいならば、
結婚がただ1つの必要なことです、
なぜなら、もしあなたが結婚していないのならば、女性と離婚することは不可能なのですから。
もしあなたが結婚しているなら…充分です!」
 
 
 
これが状況だ。
あなたが怒っているのだ。
 
なぜなら
あなたはとてもたくさんの怒りを抑圧してきた、
さあ、あなたが怒らないという一瞬はない、
 
せいぜい
ときどき少し怒り
ときどき多く怒る
という大小の違いだけだ。
 
あなたの存在全体が抑圧により毒されている。
 
 
あなたは怒りとともに食べる
 
…人が怒りなく食べるときそれは違う質がある、
そのような人を見るのは美しい
なぜなら
その人は非暴力的に食べるからだ。
その人が肉を食べるとする、
しかしその人は非暴力的だ。
 
あなたはただ野菜や果物を食べるとする、
しかし
もし怒りが抑圧されていると、
あなたは暴力的に食べる。
 
 
ただ食べるということをとおして、
あなたの歯、
あなたの口は怒りを解放する。
あなたは食べものをあたかも敵のように噛み砕く。
 
 
覚えておきなさい、
なんであれ、動物が怒るとき、
動物は何をするだろうか?
 
ただ2つのことが可能だ…
 
動物たちは武器を持っていない
そして
原子爆弾も持っていない、
動物たちに何ができるだろう?
 
動物たちの爪または歯で
動物たちはあなたに暴力を振るうだろう。
 
体には天然の武器がある…爪と歯だ。
 
あなたの爪でなにかをするのはとても難しい、
なぜなら人々は言う、
 
「あなたは動物ですか?」
 
だから
あなたに残されたただ1つの解放
あなたの怒りや暴力を簡単に表現できるのは
口だ
…だがそれも、あなたが誰かを噛むことに使うことはできない。
 
だから私たちは言う、
「パンを一口噛む」
「食べものを一口噛む」
「何口か噛む」
 
あなたは暴力的に食べものを食べる、
あたかも食べものが敵であるかのように。
 
 
 
覚えておきなさい、
食べものが敵であるとき、
食べものはあなたの栄養に本当になっていない、
それはあなたの中の全ての病の栄養になる。
 
 
人々が怒りを深く抑圧すると過食する、
彼らは身体の中に不必要な脂肪を集め続ける
…そしてあなたは観察したことがあるだろうか、
太っている人がほとんどいつも微笑んでいるのを?
 
不必要に、
原因もないのに、
太っている人々はいつも微笑み続ける。
 
なぜ?
 
これが彼らの顔、
これがその仮面だ、
 
彼らは彼らの怒りと暴力をとても恐れている
それが
彼ら自身に微笑む顔を保ち続けさせている
…そしてさらに過食し続ける。
 
 
過食は暴力であり怒りだ。
 
 
そしてこれはどこの中にでも動いていく、
あなたの生のあらゆる場所に、
 
あなたは愛し合いセックスをする、
しかし
それは愛というより暴力のようになるだろう、
それはたくさんの攻撃的なふるまいになるだろう。
なぜなら
あなたはけっして愛し合うセックスをしている相手を観察したことがない、
あなたはなにが起こっているのか知らない、
あなたはなにが起こっているのかを知ることができない、
なぜならあなたはほとんどいつもたくさんの攻撃性の中にいるからだ。
 
だから
愛による深いオーガズム(快感)は不可能だ
…なぜなら
もしあなたがトータルにコントロールを失い動けば、
夫は、妻や愛する人を殺してしまうかもしれない、
または
妻は、夫や愛する人を殺してしまうかもしれない、
とあなたは奥深くで恐れているからだ。
あなたはあなた自身の怒りをとても恐れるようになる!
 
次に愛し合うセックスのときは、
観照(観察)してごらん、
あなたはあなたが攻撃的なときと同じ動きをするかもしれない。
顔を見てごらん、
あなたの周りに鏡を置いてごらん
そうすればあなたの顔に何が起こっているのかをあなたは見ることができる!
怒りと攻撃性のゆがんだ全てがそこにあるだろう。
 
 
食べながら、あなたは怒りになる、
人が食べているところを見てごらん。
 
人が愛し合うセックスをしているところを見てごらん
 
…怒りはとても深くにある、
怒りとはまったく対極の行為の愛でさえ、
それでさえ毒されている、
 
食べること、まったくニュートラル(中立的)な行為、
それでさえ毒されている。
 
 
 
あなたはただドアを開ける、
そこには怒りがある、
 
あなたは本をテーブルの上に置く、
そこには怒りがある、
 
あには靴を脱ぐ、
そこには怒りがある、
 
あなたは握手をする、
そこには怒りがある、
 
…なぜなら
今やあなたは怒りの化身となる。
 
 
 
 
抑圧をとおして、
マインド(思考)は分離する。
 
 
あなたが受け容れる部分は意識 conscious となる、
そして
あなたが否定する部分は無意識 unconscious となる。
 
 
この分離は自然ではない、
分離が起こるのは抑圧のせいだ。
 
 
そして
あなたは無意識 unconscious の中に
社会が拒否する全てのゴミを投げ入れ続ける…
 
 
しかし、覚えておきなさい、
なんであれ、あなたが無意識 unconscious の中に投げ込むものは
もっともっとあなたの一部となる、
あなたの手の中に、
あなたの骨の中に、
あなたの血の中に、
あなたの心臓の鼓動の中に入り込む。
 
 
今では心理学者たちは言う
病気のおよそ80%は感情を抑圧したことが原因だと、
 
とてもたくさんの心不全の意味は
とてもたくさんの怒りが心臓の中に抑圧されてきたということだ、
とてもたくさんの憎悪で心臓は毒された。
 
なぜ?
なぜ人間はとてもたくさんの抑圧をし不健康になるのだろう?
 
なぜなら
 
社会はあなたに
コントロール control は教えたが、
変容 transform は教えないからだ、
 
そして
変容の道は
コントロールの道とは
まったく違う。
 
1つには
変容はまったくコントロールの道ではない、
それはただ対極だ。
 
 
 
 
最初に、
 
コントロール control の中では
あなたは抑圧 repress する、
 
変容 transformatin の中では
あなたは表現 express する。
 
 
 
 
しかし
怒りを他の誰かに表現 express する必要はない
なぜなら
”他の誰か”はただ無関係だからだ。
 
 
 
この次にあなたが怒りを感じたら
家の周りを7周走りなさい、
その後
樹の下に坐って
怒りがどこに行ったのかを『観る(観照)』がいい。
 
あなたは怒りを抑圧しなかった、
あなたは怒りをコントロールしなかった、
あなたは怒りを他の誰かに投げつけなかった
 
…なぜなら
もし他の誰かに怒りを投げつけたならば
連鎖が作り出される、
なぜなら
その他者もあなたのように愚かで、
あなたのように無意識だからだ。
 
 
もしあなたが他人に怒りを投げつけ、
もしその相手が光明 enlightenment を得た
(意識的に生きている)人ならば、
問題にはならないだろう、
その人はあなたの怒りの投げ捨てと解放とカタルシス(感情の浄化)を手伝うだろう。
 
 
しかし
相手があなたのように同じ無知ならば…
もしあなたが怒りをその相手に投げつけたら
相手は反応するだろう。
 
相手はもっと怒りをあなたに投げつけるだろう、
相手もあなたと同じほど抑圧されているからだ。
 
そうして2人の間に連鎖が作られる、
あなたは相手に怒りを投げつけ、
相手はあなたに怒りを投げつける、
そしてあなた方2人は敵同士になる。
 
 
 
誰1人にも怒りを投げつけないように。
 
 
 
怒りは嘔吐を感じるのと同じようなものだ、
あなたは他の誰かに嘔吐しない。
 
怒りには嘔吐が必要だ。
 
あなたはトイレに行って嘔吐する。
嘔吐は身体全体をきれいにする
…もしあなたが嘔吐を抑圧すれば
それは危険なものとなる、
 
そして
嘔吐したらあなたは新鮮な感じになるだろう、
あなたは胸の内を打ち明け、荷を降ろし、心地よく、健康に感じるだろう。
 
なにか間違った食べものを摂取したら
身体はそれを取り除こうとする。
 
 
 
それが身体の中に入ることを強いることをしないように。
 
 
 
怒りは精神的な嘔吐だ。
 
なにか間違ったものをあなたは取り入れ
そして
あなたの精神全体はそれを投げ出そうとしている、
 
しかし
 
それを誰かに向かって投げる必要はない…。
 
なぜなら
人々が他人にそれを投げると、
社会はそれをコントロールするように話す。
 
 
 
怒りを他の誰かに投げつける必要はない。
 
 
 
あなたはトイレに行くことができるし、
あなたは長い散歩に行くことができる、
…その意味とは
内側にあるものはすぐに行動にうつす必要があるという意味だ、
するとそれは解放される。
 
 
 
ジョギングを少しすると
あなたは解放を感じるだろう、
 
または
 
枕を取って、
あなたの手と歯がリラックスするまで
枕を叩いたり、戦ったり、噛んだりするといい。
 
5分以内のカタルシス(浄化)で
あなたは重荷を降ろしたように感じるだろう、
そして
一旦あなたがこれを知ると
あなたは他の誰かにそれをけっして投げつけなくなるだろう、
なぜなら
それはまったく愚かなことだからだ。
 
 
 
変容 transformation の第1のことは
怒り anger を表現 express することだ、
しかし
他の誰かに投げるのではない
なぜなら
もしあなたが怒りを他の誰かに表現するとしたら
あなたは怒りをトータルに表現することができないだろう。
 
あなたは殺したいのかもしれない、
しかしそれは不可能だ、
 
あなたは噛みつきたいのかもしれない、
しかしそれは不可能だ。
 
 
だが、枕ならそれはできる。
枕の意味は”すでに光明 enlightenment を得ている”ということだ、
 
枕は光明 enlightenment を得ている
覚者 buddha だ。
 
枕は反応しない、
枕は裁判所へ行かない、
枕はあなたに反対する敵意を持たない、
枕はなにもしない。
 
枕は幸せだ、
枕はあなたを笑うだろう。
 
 
 
 
2番目に覚えおかなくてはならないのは、
『気づき』aware だ。
 
コントロールの中では『気づき』は必要とされない、
あなたはロボットのように単に機械的にする。
 
怒りはやって来る
そしてそこにはメカニズム(機構)がある
…突然あなたの全ての存在が
狭く閉じる。
 
 
もしあなたが油断なく見ていれば、
コントロールはそれほど簡単ではなくなる。
 
 
社会はあなたに油断なく『観る(観照)』ことを
けっして教えない、
なぜなら
『観る(観照)』ことをするとき
人は広く開いているからだ。
 
 
人が開く…それは『気づき』awareness の1部だ、
 
 
もしあなたがなにかを抑圧したくて
そして
開いているならば、
 
それは矛盾している、
 
開いていれば
そのなにかは出て来るだろう。
 
 
社会はあなたに
いかにしてあなた自身の内に閉じるかを教える、
いかにして洞窟の内に閉じこめるかを
…なにかが外に出るためのたとえ小さな窓さえ許さない。
 
 
しかし、覚えておきなさい、
 
なに1つ出て行かないとき、
なに1つも入ってこない。
 
怒りが出ることができないとき、
あなたは閉じている。
 
もしあなたが美しい石を触っても、
なに1つ入ってこない、
 
あなたが花を見ても、
なに1つ入ってこない、
 
あなたの目は死んでいて閉じている。
 
あなたがある人にキスをする、
なに1つ入ってこない、
なぜなら
あなたは閉じているからだ。
 
あなたは無感覚な生を生きている。
 
 
「感受性」は『気づき』とともに育つ。
sensitivity grows with awareness.
 
 
コントロールをとおして
あなたは鈍くなり、死んだようになる
…これはコントロールの機構の1部だ、
 
もしあなたが鈍く死んだようなら
あなたになに1つ影響しない、
その身体は要塞や防御となるだろう。
 
なに1つあなたに影響しないだろう、
侮辱にも愛にも。
 
しかし
このコントロールはとても大きな代償だ、
不必要な代償だ、
それは人生の中の全ての努力になる、
 
いかにしてあなた自身をコントロールするか
…そして死ぬのだ!
 
コントロールの全ての努力に
全てのあなたのエネルギーを使い、
そして
あなたはただ死んでいく。
 
人生は鈍く死んだものになり、
あなたはなんとかしてそれを続けていく。
 
 
 
社会はあなたに
コントロール control と
非難 condemnation を教える、
なぜなら
子供はなんらかの非難を感じるときにだけ
コントロールしようとするからだ。
 
 
 
怒りは悪だ、
セックスは悪だ、
コントロールされている全てのことは
子供にとって
罪や悪魔のように見せねばならない。
 
 
 
ムラ・ナスルディンの息子が成長した。
彼は10歳なので、ムラはこう思った、
これがその時だ。
 
息子は充分に大きくなった
生の秘密を息子に明きらかにすべきだ。
だから、ムラは息子を書斎に呼び、
鳥や蜂の中性の基礎知識を息子に与えた。
そして最後にムラは息子に話した、
「あなたの弟が充分に大きくなったと感じたときに、
あなたは彼にも全てを話しなさい。」
 
そして数分後、
ムラが子供部屋の前を通りかかると
10歳の兄が弟にもうすでに働いているのを聞いた。
兄には弟に話していた、
「いいかい、みんなが何をするか知ってるだろ、
子供や赤ちゃんを欲しいときにみんながするやつ。
えーとね、お父さんが言うには鳥も蜂も同じおかしなことをするんだって。」
 
 
 
深い非難は全ての生に関する中に入り込んでいる。
 
そしてセックスは最も生のことだ
…そのはずだ!
それは源(源泉)だ。
 
怒りも最も生のことだ、
なぜなら
怒りは防衛の力だ。
 
もし子供がまったく怒ることができないならば、
その子供は生き延びることができないだろう。
 
あなたは確かな瞬間に怒らなくてはならないことがある。
 
子供は自分自身の存在を顕わさなくてはならない、
子供は自分自身の足で確かな瞬間に立たなくてはならない、
そうでなければ
彼は気骨(中心の支え)を持たなくなるだろう。
 
 
怒りは美しい、
セックスは美しい。
 
 
しかし美しいものは醜くなることもできる。
 
それはあなた次第だ。
 
もしあなたがそれらを非難 condemn すれば
それらは醜くなる、
 
もしあなたがそれらを変容 transform すれば
それらは神聖になる。
 
 
 
怒り anger は慈悲 compassion に変容する
…なぜなら
怒りと慈悲は同じエネルギーだからだ。
 
 
 
覚者 buddha は慈悲だ、
慈悲はどこから来るのだろう?
 
慈悲は怒りに動いていたエネルギーと同じだ、
そのエネルギーが怒り anger に動いていないとき
その同じエネルギーが慈悲 compassion に変容する。
 
 
 
愛はどこからどこから来るのだろう?
 
ゴータマ・ブッダは愛にあふれている、
エスは愛だ。
 
セックス sex に動く
その同じエネルギーが愛 love に変容する。
 
 
 
だから覚えておきなさい、
 
もしあなたが自然の現象を非難 condemn すると
それは毒になる、
それはあなたを破壊する、
それは有害で自殺になる。
 
 
もしあなたが自然の現象を変容 transform すると
それは神聖になる、
それは神の力になる、
それはエリクシール(霊薬)になる、
あなたはそれをとおして不死へ、死のない存在へと達する。
 
 
 
ただし、変容 transformation が必要だ。
 
 
 
変容 transformation の中では、
あなたはけっしてコントロール control しない、
あなたはもっと『気づき』aware が深まるだけだ。
 
 
 
怒りが起こっている、
あなたは怒りが起こっていることに『気づ』aware かなくてはならない
 
…怒りを見てごらん!それは美しい現象だ…
 
エネルギーがあなたの内側で動く、
熱くhot なってくる!
 
 
 
それはあたかも雲の中の電気のようだ…。
 
人々はいつも電気を恐れる、
昔、人々が学んでいないころ、
この電気は神の怒りだった、
脅したり、罰したりする
…恐れが作りだされた
だから人々は崇拝者になりはじめた、
そうして
人々は神がそこにいて人々を罰すると感じはじめた。
 
しかし
今では人々は神を飼いならしてしまった。
今では神はあなたの扇風機を走り通り、
あなたのエアコンを通り、
あなたの冷蔵庫を通る、
なんであれ、あなたが必要なら、
神が人間に仕えてくれる。
 
その神は家庭の力となった、
その神はもう怒りもしないし、
脅しもしない。
 
科学をとおして
外側の力が友人へ変容した。
 
 
内側の力にも
宗教をとおして同じことが起こる。
 
 
怒りはあなたの身体の中のちょうど電気のようだ、
あなたは怒りをどうしたらいいのか知らない。
 
 
あなたは他の誰かを殺す
または
あなた自身を殺す
そのどちらかだ。
 
 
社会は言う、
 
もしあなたがあなた自身を殺すならそれはオッケーだ、
それはあなたの関心事(問題)だからだ、
 
しかし
 
他の誰かを殺してはならない
…社会の中でならそれで問題はない。
 
それで、どちらにしても
あなたは攻撃的になるか
または
あなたは抑圧するかになる。
 
 
 
宗教はそのどちらも間違いだと言う。
 
 
 
基本的なことは
『気づき』aware が必要だ、
そして
エネルギー、怒り、内側の電気などの
神秘を知ることだ。
 
 
怒りは電気 electricity だ
なぜなら
あなたは熱く hot になる、
 
あなたが怒るとき
あなたの体温は熱くhot になる、
 
そして
あなたは覚者 buddha の冷静さ(静寂 )coolness を理解できない、
 
なぜなら
怒り anger が慈悲 compassion へと変容すると
すべてが涼やか(静寂)cool になる。
 
 
とても深い静寂 cool が起こる。
 
 
ゴータマ・ブッダはけっして熱く hot はない、
覚者 buddha はいつも冷静(静寂)cool で中心 center に在る、
 
なぜなら
 
覚者 buddha は内側の電気の使い方を知っているからだ。
 
 
電気 electricity は熱い hot 
…それはエアコンの源 source になる。
 
怒り anger は熱い hot
…それは慈悲 compassion の源 source になる。
 
 
慈悲 compassion は内側のエアコンだ。
 
突然に全てが涼やか cool で美しくなる、
そして
なにもあなたを害さなくなる、
そして
全ての存在が友達に変容 transform する。
 
 
さあ、敵が1人もいなくなった…
 
 
なぜなら
 
あなたが怒り anger の目をとおして見ると
誰かが敵になる、
 
あなたが慈悲 compassion の目をとおして見ると
みんな友達だ。
 
 
あなたが愛 love の中にいるとき
神はどこにでもいる。
 
あなたが憎悪 hate の中にいるとき
悪魔はどこにでもいる。
 
 
あなたの見方が
現実に映し出される。
 
 
『気づき』awareness は必要だ、
非難 condemnation ではない
 
…『気づき』awareness をとおして
変容 transformation は自然自発的に起こる。
 
 
もしあなたの怒りに『気づき』はじめると、
理解が貫かれる。
 
 
ただ『観る(観照)』こと、
判断をせず、
良いとも悪いとも言わずに、
あなたの内側の空をただ『観る(観照)』。
 
 
そこには
稲妻があったり、
怒りがあったり、
熱く hot に感じたり、
全ての神経組織が震えて揺れたり、
身体全体で混乱を感じたり
…それは美しい瞬間だ、
なぜなら
エネルギーが機能(動く)すると
あなたはそれを簡単に見ることができる、
それが機能していないとき
あなたはそれを見ることはできない。
 
 
 
目を閉じて
怒りに瞑想 meditation してごらん。
 
 
 
戦うのではない、
ただなにが起こっているのかを見るのだ
 
…空全体が電気で満たされる、
たくさんの稲妻、たくさんの美…
ただ地面に横になり
空を見上げ
『観る(観照)』のだ。
 
 
そしてそれと同じことを
内側でもするのだ。
 
 
そこには雲がある
なぜなら
雲がなければ稲妻はできない
…暗い雲がある、思考 thoughts だ。
 
誰かがあなたを侮辱した、
誰かがあなたを笑った、
誰かがこれやあれやを言った…
 
たくさんの雲、暗い雲が内側の空にある、
そしてたくさんの稲妻。
 
見なさい!
 
それは美しいシーンだ…恐ろしくもある、
なぜなら
あなたはそれが何であるのか理解しないからだ。
 
 
それは神秘的だ、
もし、理解されない神秘は
恐ろしいものになる、
あなたはそれを恐れる。
 
なんであれ、神秘を理解したら
それは優美な贈り物になる、
 
なぜなら、あなたは鍵を持った
…その鍵とともにあなたは導師 master だ。
 
 
あなたはそれをコントロールしない、
あなたはあなたの『気づき』とともに
単に導師 master になる。
 
 
そしてあなたの『気づき』aware がもっと深まると、
もっと内側の中心部へと貫く、
なぜなら
『気づき』awareness は内側の中心部へと向かうからだ、
いつも内側の中心部へと向かう、
『気づき』aware が増し深まれば、さらに内側に入る、
完全なるトータルな『気づき』aware は、完全に内側に入る。
 
 
浅い少しの『気づき』aware は、さらに外側に出る、
無意識 unconscious であれば
あなたは完全に外側に出る、
あなたの家を出て、外をさまよう。
 
 
 
無意識 unconsciousness であることは
外側をさまようことだ、
 
意識 consciousness であることは
内側へ深く入ることだ。
 
 
 
だから見なさい!
怒りがないときは、
それを見ることは難しい、
なにを見たらいいのかね?
 
空はとても広大だ、
そして
あなたはまだ空(くう)emptiness を見る能力がない。
 
怒りがあるときは
見なさい、注意して見なさい、
やがてあなたは変化を見るだろう。
 
『観照者』がやって来る瞬間、
怒りはもう冷え cool はじめている、
熱さ hot は失われる。
 
するとあなたは理解できる
熱さ hot はあなたによって作り出されていたと、
あなたが怒りと同一化することで熱さ hot を作り出していた。
 
そして
あなたが熱くない瞬間、恐れはなくなる、
そして
あなたは怒りに同一化していないと感じる、
怒りとの違いや距離が生まれる。
 
 
それはそこにある、
稲妻はあなたの周りにある、
しかし熱い hot 怒り稲妻はあなたではない。
 
丘は盛り上がり上昇しはじめる。
 
あなたが『観照者』になったのだ、
丘の下の谷底に、
たくさんの稲妻が見える
…距離はもっともっと成長する(離れていく)…
そして突然あなたは怒りにまったく参加していない瞬間が来る。
 
同一化は壊れた、
その瞬間、同一化は壊れた、
 
直ちに全ての熱い hot のプロセスは
冷静(静寂)cool のプロセスになる
…怒り anger は慈悲 compassionになる。
 
 
 
セックス sex は熱い hot のプロセスだ、
愛 love は違う。
 
 
 
しかし
世界中で人々はいつも暖かい warm 愛 love について話す。
 
愛 love は暖かさ warm ではない、
 
愛 love は完全に涼(静寂)cool だ、
しかし冷 cold ではない
 
…愛 love は冷 cold ではない
なぜなら
それは死んだものではないからだ。
愛 love は涼(静寂)cool だ、涼しい風のようだ。
 
しかし愛 love は
熱い hot でも、暖かい warm でもない。
 
 
愛 love とセックス sex が同一であるとみなすことにより
愛 love は暖かい warm べきだ
という概念がマインド(思考)に生まれた。
 
 
セックスは熱い hot だ。
それは電気 electricity だ、
そして
あなたはそれに同一化する。
 
 
愛 love が増すと、冷静(静寂)coolness も増す
…あなたは冷静(静寂)cool な愛を冷たい cold と感じるかもしれない、
 
それはあなたの誤解だ、
 
なぜなら
あなたは愛 love は熱い hot べきだと感じるからだ。思い込んでいるからだ。
 
 
それはできない。
愛 love は熱く hot にはできない。
 
 
同じエネルギーであっても
同一化しないとき、それは冷静(静寂)cool になる。
 
慈悲 compassion は冷静(静寂)cool だ、
そして
もしあなたの慈悲 compassion がまだ熱い hot ならば、
それは慈悲 compassion ではないと理解しなさい。
 
 
とても熱い hot 人々がいる、
その人たちは自分はたくさんの慈悲 compassion を持っていると考える。
 
彼らは社会を変容したい、
彼らは組織を変化したい、
彼らはこれやあれをしたい、
彼らは世界に理想郷 utopia を持ちたい、
革命家たち、
理想主義者(夢想家)たち
…彼らはとても熱い hot だ。
 
そして
彼らは自分たちが慈悲 compassion を持っていると考える
…いいや違う、彼らは怒りだけを持っている。
 
 
目的(対象)が変わったのだ。
 
 
さあ、彼らの怒りは新しい目的(対象)を持つようになった、
とても非個人的な目的(対象)だ
…社会、
社会の組織、
国家、
状況。
 
彼らはとても熱い hot 人々だ。
 
…彼らは熱い hot な人々だ
しかし
彼らは特定の誰かに反対していない、
彼らは組織(構造)に反対した。
ガンジーは熱い hot だ
…彼はイギリスの帝国に反対した。
 
目的(対象)は非個人的だ、
だからあなたはガンジーが怒っていると感じることができない
…しかし彼こそは怒っている人だ。
 
彼は外側の世界のなにかを変化したい、
とても直ちに変化したい、
彼は短気で、戦っている。
 
その戦いはそういう意味では非暴力を選択したかもしれない、
しかしその戦いとは暴力だ。
 
 
戦いそれは暴力だ。
 
 
あなたが非暴力を選択できるという意味は戦いだ
…女性はいつもそれらを選択する。
 
ガンジーがしたのは他でもない、
彼は単に女性的なトリックを使っただけだ。
 
 
もし夫が喧嘩をしたいならば、
彼は妻を叩くだろう、
そして
もし妻が喧嘩をしたいならば、
彼女は彼女自身を叩くだろう。
 
 
これは女性と同じだけの歴史があり、
…女性は男性より老練だ!
 
彼女は彼女自身を叩きはじめるだろう、
それが彼女自身の戦い方だ。
彼女は暴力的だ、彼女自身に対して暴力的だ。
 
 
覚えておきなさい、
女性を叩くことで、男性は罪を感じるだろう、
遅かれ早かれ、あなたは折れていき妥協をするだろう。
 
しかし
女性は自分自身を叩くことで、彼女はけっして罪を感じない。
 
だから
男性が女性を叩いても男性は罪を感じ、
または
女性が彼女自身を叩いても男性は罪を感じる
 
…彼女が彼女自身を叩く状況を作り出したのは男性だ。
どちらのケースでも女性が勝つ。
 
 
 
イギリスの帝国は敗北した
なぜなら
それは男性的な攻撃の力だったせいだ、
そして
イギリスの帝国は
ガンジーのこの女性的な戦いを理解できなかった、
彼は死ぬまで断食したかもしれない、
…そしてイギリス全体のマインド(思考)は罪を感じるだろう。
さあ、あなたはこの男を殺すことはできない、
なぜなら
彼はあなたとどんなやり方でも戦ってはいない、
彼は単に彼自身の魂を清らにする…
それは古い女性的なトリック、
しかしそれは効果があった。
 
1つだけガンジーが敗北する道があった、
それは不可能だった。
 
それはチャーチルが断食をすることだった、
しかしそれは不可能だった。
 
 
 
いずれにしても
あなたが熱く hot 特定の誰かに反対しても
または
ただ熱く hot 一般のなにかの組織に反対しても、
しかし熱い heat は同じままだ。
 
 
 
レーニンは慈悲 compassion ではない、
そうであることはできない。
 
 
 
ゴータマ・ブッダは慈悲 compassion だ
…まったくなにとも戦わない、
ただ存在し being、
そして
ものごとがあるがままを許す、
ものごとは自然に動いていく。
 
 
 
社会は自然に変化する、
社会を変化させる必要はない、
季節の中で木々が変化するのと同じように社会は変化する。
 
社会は自然に変化する
…古い社会は自然に死ぬ、
古い社会を破壊する必要はないのだ!
 
そして
 
新しい社会はちょうど子供たちや新生児たちのように自然に生まれる。
堕胎を強いる必要はない、
新しい社会は自然に自動的に進む。
 
 
ものごとは動き変化する。
 
 
そしてこれは逆説 paradox だ、
 
ものごとは動き変化し続けるが
ある意味では同じままだ
 
…なぜなら
そこには貧しい人々がいるだろうし
そこには豊かな人々がいるだろう、
そこには助けのない、無力な人々がいるだろうし
そこには権力の人々がいるだろう。
 
階級は消え去ることができない
…それは自然の本来のものではない。
 
人間の社会は階級がなくなることはけっしてできない。
 
 
階級は変化する。
 
 
今やロシアは
貧者も富者もない
しかし
管理される者と管理する者がいる
…今あるのはそのような者たちだ。
 
さあ、新しい階級の分割が生じた、
官僚と普通の人々、
監督者と監督される人々
…同じこと、以前となんの違いもない。
 
もしティムールがロシアに生まれていたら、
彼は首相になっていただろう。
もしフォードがロシアに生まれていたら、
彼は共産党の書記長になり、そこから指揮していただろう。
 
 
状況は変わり続けるが、
微妙な意味で彼らは同じままだ。
 
監督者、被監督者、
管理者、被管理者、
富者、貧者、
…彼らは同じままだ。
 
あなたはそれを変えることはできない、
なぜなら
社会は矛盾をとおして存在するからだ。
 
 
本当の慈悲 compassion の人は涼 cool になる、
彼は真に革命的にはなれない、
なぜなら
革命にはとても熱い hot 
マインド(思考)と
ハートと
肉体が
必要だからだ。
 
 
怒りをコントロールせず、
怒りを他人に表現しぶつけることなく、
より深い『気づき』を持つ
…すると
意識 consciousness が
表層 periphery から中心 center へとシフト(移る)する。
 
 
さて、この美しい逸話を理解することを試してみよう。
 
 
禅を学んでいる学侶が盤珪(ばんけい) を訪れ、こう言った、
 
「導師 master、
私には制御できない短気があります
…どうしたら治すことができるでしょうか?」
 
 
この学侶は1つ受け容れていることがある、
それは
彼は制御できない短気があること、
そして今や
彼はそれを治したい。
 
病気があるときはいつも必ず、
最初に試すことはその病気が
本当の病気か、
誤解した病気かを
発見することだ、
 
なぜなら
もしそれが本当の病気なら治すことができる、
 
しかし
それが本当の病気ではなく、
ただ誤解したものであるなら、
何の薬も助けにはならない。
むしろ、逆に、
あなたに与えられた全ての薬は害になるだろう。
 
だから最初に病気について完全に明らかにすることだ、
病気がそこに有るのか無いのか、
ただの思い過ごしなのか、
病気があるとただ思い込んでいるのか。
 
全く病気はないのかもしれない、
単なる誤解かもしれない。
 
人々は混乱するが、
多くの病気は全く存在していない
…人は単に病気だと信じ込んでいる。
 
あなたもまた同じ船の中にいる、
だからこの逸話をとても深く理解してみることだ、
あなたの助けになるだろう。
 
学侶は言った、
 
 
「導師 master、
私には制御できない短気があります
…どうしたら治すことができるでしょうか?」
 
 
病気は受け容れられている、
学侶はそれを疑っていない、
彼は治療法を尋ねている。
 
治療法をけっして尋ねてはならない。
 
最初にその病気が存在しているのかしていないのかを発見することだ。
 
最初に病気を掘り下げ、そして診断する、
解読し、吟味する、
治療法を尋ねる前に
最初に病気を掘り下げなさい。
 
どのような病気も表層だけでそれを受け容れてはならない、
なぜなら
表層は、他人とあなたが出会う場所だからだ、
そして
表層こそが他人からの影響を受ける場所、
表層は他人の色に染まる場所だ。
 
それは病気などではないかもしれない、
それはただ他人からの影響かもしれない。
 
それはまるで静かな湖面があり、
あなたがオレンジのローブを着て湖の岸辺に立つと、
あなたの近くの水がオレンジに見える、
あなたを反映している。
 
湖は自分がオレンジ色になったと思うかもしれない。
 
どうしたらオレンジ色を取り除けるだろうか?
治療法はどこへ行けば見つかるのだろうか?
誰に尋ねればいいのだろう?
 
すぐに専門家のところに行ってはならない。
 
最初に病気は
本当の病気か
ただの反射なのかを
発見することを試しなさい。
 
注意を怠らないようにするだけで充分だ、
多くの病気が何の治療もなしで簡単に消えてしまうだろう、
何の薬も必要ない。
 
 
「その短気を私に見せてごらん。」
盤珪は言った、
「それはおもしろそうだ。」
 
 
盤珪のような人ならすぐに病気に働きはじめる、治療ではなく。
 
彼は精神分析医ではない、
精神分析医は治療をはじめる
…そこが違う。
 
精神医学の新しい流行では、
病気を治療するのではなく、
病気に向き合うようになった。
 
新しい流行は発展している、
彼らは現実に近づいてきた、
そして
禅に近づいてきた、
宗教に近づいてきた。
 
今世紀中に精神医学はより宗教色を強め、
ただのセラピーではなく、
真の癒しの力になるだろう
…なぜなら
セラピーは治療法を考え、
癒しの力は病にあなたの意識をもたらすからだ。
 
何百もの病気は、
あなたの意識を病気に持っていくことにより
99%が簡単に消えてなくなるだろう。
 
それらは偽りの病気だ、
偽りの病気が存在するのは
あなたが病気に背中を向けて立っているからだ。
 
病気と向き合いなさい、
そうすれば、
病気は去る、消えてなくなる。
 
 
 
それが本音の交流(出会い) encounter だ
…エンカウンターグループは助けになるだろう、
なぜなら
その全体のメッセージは
どのようにしてありのままの姿に出会うかだからだ。
 
 
 
治療のことを考えるのではない、
薬のことを考えるのではない、
何をするのかを考えるのではない、
 
本当のことは、
最初に何がそこにあるのかを知ることだ。
 
 
 
マインド(思考)は
病気が表層に現れていると
あらゆる方法であなたを欺く
しかし
内部奥深くに病気はない、
または
病気は表層に現れているが
内部を探ると他の病気が見つかる、
それは
マインド(思考)があなたを欺くトリックであり、
それは本当の病気ではない。
 
 
 
ある男が私のところに来て言った、
「私のマインド(思考)はとても邪魔をします。
私はいつも緊張し、不安で、眠ることができません。
ですから、瞑想 meditation の方法を私に与えてください
…いかにして静かで平和になる方法を。」
 
私は彼に尋ねた、
「本当の問題は何なのかね?
あなたは本当にあなた自身と平和になりたいのかね?」
 
彼は言った、
「はい、私は探求者です、
そして
シュリ・オーロビンドのアシュラムにいましたし、
シュリ・ラマナのアシュラムにもいました。
それからあちらこちらに滞在しましたが、
何も助けになりません。」
 
そこで私は彼に尋ねた、
「こう考えたことがあるかね
…何も助けにならないのならば
たぶん病気は偽りだと?
または
間違ったラベルを貼っているのではないか?
または
容器のラベルに書いてあるものと違うものが中に入っているのではないかと?
 
あなたは簡単に
シュリ・オーロビンドは間違っている、
シュリ・ラマナは間違っていると受け容れ
あちらこちらを動き回った。」
 
そして彼は
誰もが失敗し、
誰1人も彼を助ける者がおらず、
みんなが偽者だったことに
勝利を感じていた。
 
私は彼に言った、
「遅かれ早かれ、あなたは去るだろう
そして私に関しても同じことを言うだろう、
なぜなら
私にはあなたが魂の探求者には見えない、
私にはあなたがあなた自身の平和に本当に興味があるようには見えない。
 
ただ私に話しなさい、
あなたの不安は何なのかを?
あなたの緊張は何なのかを?
 
ただ私に
どんな思いがやって来続けるのか、
なぜそれについて考え続けるのかを
話しなさい。」
 
彼は言った、
「たくさんはないのです、
ただ1つだけの考えです、
私には1人息子がいます、
彼はまだ生きています
…しかしもう私の息子ではありません。
私は彼を追い出したのです。
私は裕福です、
息子は私のカーストではない女性と恋に落ちました、
経済的にも私より低く、学歴もありません。
私は息子に話しました、
『もしあなたがその女性と結婚したいならば
この家にけっして帰ってくるな。』
そして息子はけっして帰って来ていません。」
「そして今や私は年をとりました。
息子はその女性と貧しい暮らしをしています、
そして私は息子について考え続けています、
これは私の問題です。
あなたは私に何か瞑想 meditation の方法を与えてください。」
 
私は言った、
「瞑想 meditation の方法がどのように助けになるだろう?
…なぜなら
瞑想 meditation の方法はあなたの息子を家に戻すことはない。
そしてこれは全く簡単なことだ、
オーロビンドのところに行く必要はない、
シュリ・ラマナや私のところに来る必要もない。
あなたの問題に刀は必要ない、
針がいいだろう。
 
あなたは刀を探している、
そして刀は失敗を証明する
なぜなら
あなたに必要なのは針だけだからだ。
 
これは霊的な魂の問題ではない、
ただのエゴ(欲・自我)だ。
 
なぜ経済的に自分より低い女性と恋に落ちてはいけないのかね?
愛とは経済的なものなのかね?
経済、金、富、地位と関連して考えるべきものなのだろうか?」
 
 
私は彼にある話をした。
結婚紹介業者がある若い男のところに来て、
こう言った、
「とても美しい女性がいるのです。
ちょうどあなたにぴったりです。」
 
若い男は言った、
「邪魔をしないでくれ。私は興味がない。」
 
結婚紹介業者は言った、
「わかっています、しかし、ご心配なく。
別の女性もいます、
持参金に五千ルピーも持ってきます。」
 
若い男は言った、
「くだらない話は止めたまえ。
私は金にも興味がない。帰ってください。」
 
結婚紹介業者は言った、
「わかります。迷惑はかけません。
もし五千ルピーが十分ではないのなら、
他に二万五千ルピーの持参金つきの女性もいます。」
 
若い男は言った、
「私の部屋から出て行ってくれ、
なぜなら
もし私が結婚するとしたら、私が自分で考えることだ。
紹介業者が質問に決着をつけることではない。
ほっといてくれ。私を怒らせるな。」
 
紹介業者は言った、
「オッケー、今。やっとわかりました。
美人にも興味がない、お金にも興味がない。
では、古い伝統のとても有名な名家の女性もいます
…誰もがみな知っている名家で、
過去に四人も首相が出たことのある家系です。
ですから、あなたは家柄に興味があるのではないですか?」
 
若い男はついにとてもとても怒り
力づくでこの紹介業者を追い出したくなった。
そしてドアの外に力づくで押し出し、
彼は言った、
「もし私が結婚するなら愛のためだ、他にはない。」
 
紹介業者は言った、
「では、なぜ最初に言ってくれなかったのですか。
その類の女性たちもいますよ。」
 
 
 
私はこの話を男にした。
 
愛は操作(支配)できるものではない、
それは自然に生まれるものなのだ、
そして
操作(支配)しようとする瞬間、
すべてが失敗に終わる。
 
だから私はこの男に言った、
「息子のところに行き、あやまりなさい
…それが必要なことだ。
瞑想 meditation の方法も、
オーロビンドも、ラマナも、oshoも、
誰もあなたを救うことはできない。
 
すぐにあなたの息子のところに行き、あやまりなさい。
必要なのはそれだ。
息子の帰りを受け容れ歓迎しなさい。
 
あなたを悩ませていたのはエゴ(欲・自我)だけだ。
 
もしあなたを悩ませていたのがエゴ(欲・自我)であるなら、
それは病気とは違う。
 
瞑想 meditation を探し求め、
瞑想 meditation を通じて静寂が得られると思っているのなら、
それは違う。」
 
 
瞑想 meditation が助けになるのは
自分の内側の病に正しい理解を得ている人間、
どの病気が偽りで、
どの病気に間違って同一化されているか、
そして
どの病気が全く存在していないか
…つまり、入れ物が空であるかどうか、
そのような理解に達している人間だけだ。
 
人が理解に達したとき、
人の病気全てに対する深い理解を得たとき、
病気の99%が消え去る
…なぜなら
対処の仕方がわかりそれができれば、病気は消え去る。
 
 
 
 
そのとき、たった1つのことが残る、
 
その1つとは『魂(源泉)』の探求だ…
 
 
 
 
深い苦悶 anguish、
この世界のことには関わりのない、
この世界にあるものとは一切関わりのない苦悶だ、
 
息子、
父、
金、
地位、
権力、
…すべて関わりがない。
 
そのようなことには関わりがない、
それは、存在 existential に関することだ。
 
 
 
自分の奥深く、
もしそれをピンポイントできれば、
それはいかにして自分自身を知るか
How to know oneself.
ということだ。
 
 
私は誰なのか?Who am I?
 
 
 
そのとき、
この苦悩 anguish が探求 search になる。
 
そのとき、
瞑想 meditation が助けになる…けっしてその前ではない。
 
 
 
その前に必要なのは他のことだ、
針がいいだろう、
なぜ不必要な刀を持ち歩くのだ?
 
針が必要であるとき、
刀は失敗となるだろう。
 
これこそが
世界中の何百万もの人々に起こっていることだ。
 
この盤珪は導師 master だ。
彼はすぐに問題の中心に、
仕事に取り掛かった。
 
 
「その短気を私に見せてごらん。」
盤珪は言った、
「それはおもしろそうだ。」
 
 
それは本当におもしろそうだ。
 
なぜ盤珪はそれはおもしろそうだと言ったのだろう?
 
…なぜなら、すべてが偽りだからだ。
 
この男、学侶はけっして内側を見つめたことがなかった。
彼は方法を探し求めたが
彼の病気が何なのかを診断したことがなかった。
 
 
「たった今それはありません。」
学侶は言った、
「ですから、それを見せることはできません。」
 
 
あなたは怒りを管理することはできないだろう?
 
もし私があなたに
「今すぐ怒りなさい。」
と言ったら、
あなたはどうするだろう?
 
もし怒っているふりをしても、
もし怒っているように見せかけても、
それは怒りにはならないだろう、
なぜなら
奥深いところでは
醒めて、演じているからだ。
 
 
怒りは起こるものなのだ!
 
 
「怒りは起こる。」とはどういう意味だろう?
 
 
怒りが起こるのは
人が無意識 unconscious であるときだけだ。
 
もしあなたが怒ろうと試すと、
意識 conscious がある。
 
意識 conscious があるとき、
怒りは起こることができない、
 
怒りが起こるのは
無意識 unconscious であるときだけだ。
 
無意識 unconsciousness であることが必要だ
…無意識 unconscious なしで怒りは起こることができない。
 
しかしまだ、学侶は言った、
 
 
「たった今それはありません。」
学侶は言った、
「ですから、それを見せることはできません。」
 
「それでは、」
盤珪は言った、
「それを持っているときに
私のところに持って来なさい。」
 
「しかし、ちょうどそれを持つことが起こるときに
それを持って来ることはできません。」
 
学侶は異議を唱えた。
 
「それは予期せずに湧きますし、
あなたのところに持って来る前に
きっと私はそれを失ってしまうでしょう。」
 
 
さあ、盤珪は学侶を正しい道に導く。
 
学侶はすでに進み出していた、
すでにゴールに近づいていた、
なぜなら
今や彼は『気づく』ことがけっしてなかったことに
『気づき』はじめていたからだ。
 
 
まず最初に彼が『気づき』始めたことは
彼は今すぐ怒りを作り出せない
ということだ。
 
怒りは作り出すことはできない、
怒りが起こってはじめて怒れるものだ
…怒りは、無意識 unconscious の力 force だ、
意識的 consciously に怒りを持つことはできない。
 
その意味は
もしこの学侶がもっと先に歩を進めたら、
次の段階では
彼は意識 conscious があるままになるだろう、
 
そして
 
もしあなたが意識 conscious があるままであるなら
怒りは起こることができない。
 
 
たとえ怒りが起こっているときでさえ、
もしあなたがその瞬間に
意識 conscious になれば
怒りは落ちる。
 
 
試してみなさい。
 
 
その最中に、
非常に熱く感じたり
殺人を犯したくなったら、
その瞬間に『気づき』になれば、
 
あなたは何かが変わったと感じるだろう、
 
内側のギアが
…カチッというのを感じるだろう。
 
何かが変わった、
さあ、もう同じではない。
 
あなたの内なる存在がくつろいでいる。
 
あなたの外側の層がくつろぐには時間がかかるかもしれないが、
内なる存在はすでにくつろいでいる。
 
協同は崩れた、
さあ、あなたは同一化されていない。
 
 
 
彼の弟子 disciple たちにとても美しいトリックを使った。
 
あなたはここで座っている、
そして
彼はある状況をつくり出す、
彼はあなたに言うだろう、
「ある人物、Aがやって来る、
その人物が来たら私は無作法にふるまう、
とても無作法にだ
…そして、あなた方全員で私に協力してほしい。」
 
そしてAがやって来て
グルジェフは笑い、Aに言う、
「君は完全なる馬鹿のようだな!」
 
…そして、全員がAを見てグルジェフに同意していることを態度に示す。
そして、グルジェフはこの男について意地の悪いことを言い、全員同意しているかのようにうなずく。
 
男はしだいに怒り始め、
グルジェフは同じことを行い続け、
全員が全く同意しているようにうなずく、
そして男はしだいに熱くなり
…ついに爆発する。
 
Aが爆発したとき、その瞬間グルジェフは言う、
「(怒りを)止めなさい、
(怒りを)見るのだ。」
 
内側の何かがくつろぐ。
 
突然、その男は
彼がつくられた状況の真っ只中に置かれていたこと
彼が怒りになったことを
理解する
 
…そして彼が、
これがグルジェフがトリックをしくんだ状況だと『気づいた』瞬間に、
ギアが変わる、
 
彼は注意深くなり、『気づく』。
 
肉体が静まるのにはいくらかの時間がかかるが、
中心の深くでは、
すべてが涼やか cool になり
今では彼は彼自身を見つめることができるようになる。
 
この学侶はすでにその道にいる、
盤珪が学侶をたちまちにその道に導いた。
 
最初に学侶が『気づいた』ことは
 
「たった今それはありません。
ですから、それを見せることはできません。」
 
ということだ。
 
 
「それでは、」
盤珪は言った、
「それを持っているときに
私のところに持って来なさい。」
 
 
すでに次の段階に進んでいる。
 
 
「しかし、ちょうどそれを持つことが起こるときに
それを持って来ることはできません。」
学侶は異議を唱えた。
「それは予期せずに湧きますし…」
 
 
「それがいつ起こるのか自分ではわからない。
私は遥か遠い所にいるかもしれない、
導師 master はそのとき忙しいかもしれない、
それに、万が一私がそれを持って来たとしても、
導師 master に見せるころにはなくなってしまうかもしれない。」
 
学侶はすでに深い理解に到達している。
 
あなたは私に怒りを持ってくることはできないだろう?…
 
なぜなら、
それを持って来ようととても努力することで、
あなたは『気づき』になるからだ。
 
もしあなたが『気づき』であれば、
グリップ grip は失われる(手は放される)、
 
怒りは静まりはじめる。
 
私の所に来るころには
怒りはもうなくなっているだろう。
 
そしてそれは
盤珪のところに行く方がより簡単だっただろう、
私のところに来るのは難しい、
 
ムクタの許可を得なければならないからだ。
予約が受け付けられ、私の所に来る頃には、
怒りはもうそこにはないだろう。
それゆえ予約がある
…そうでなければ、あなたは不必要に問題を持ち込むだろう。
 
そのような問題は自然に落ちる
 
…もしそれでもいつまでも続いているのなら、
それは私のところに持ってくる価値がある。
 
私のところに来る頃には
もうやり過ごしてしまっているかもしれない、
もしあなたが理解できるなら、
その意味は
来ては去っていくものには
注意を向けるに値しない
ということだ、
 
 
…それは来ては去る(移り変わる)。
 
 
あなた(実存 : 本性)はいつも同じままだ、
ものごとは来ては去る(移り変わる)。
 
 
注意を向ける先は”あなた自身”であり、
来ては去る(移り変わる)ものごとではない
 
…それは季節のようなものだ。
気候は変わる、
 
朝、それは違うものだった、
夜、それはまた違うものになる。
 
 
それは変化する。
 
 
変化することのないものを見つけなさい。
Find out that which doesn't change.
 
 
学侶はすでに美しい理解に行き着いた。
彼は言う、
 
 
それは予期せずに湧きますし、
あなたのところに持って来る前に
きっと私はそれを失ってしまうでしょう。」
 
「そういうことであれば、」
盤珪は言った、
「短気はあなたの本性の一部であることはできない。」
 
 
…真の本性 true nature は常にそこにある。
 
 
それはけっして
現れたり、置かれたり
するものではない、
 
いつもそこにある。
 
 
怒りは沸き起こっては去って行く、
憎しみは沸き起こっては去って行く、
あなたの言ういわゆる愛も沸き起こっては去って行く。
 
 
あなたの本性 true nature は常にそこにある。
 
 
だから
来ては去る(移り変わる)ものに気を取られ過ぎたり
そればかりを考えてはならない
そうでなければあなたは
何年も、何生も、
それを考え続けることになり、
けっして核心に行き着くことはない。
 
 
 
だからフロイト派の精神分析は大した目的を果たせない。
患者はソファーに何年も横になる
…3年、4年、5年、患者はしゃべり続ける、
来ては去る(移り変わる)ものについてしゃべり続ける。
 
 
覚えておきなさい、
 
 
全てのフロイト派の分析家は、
来ては去る(移り変わる)ものごとについて考える、
 
患者の子供時代に何が起きたか、
思春期に何が起きたか、
性生活に何が起きたか、
他人との関係で何が起きたか
…いつまでも続く!
 
そこでは
起きた事に関心が向けられ、
それが起きた人間には関心が向けられない
 
 
盤珪フロイトの違いはそこにある。
 
 
何が起きたかについて考えたら
…あまりにも多くのことが起きた。
24時間の間でさえ、
語るのに何年もかかる程多くのことが起きる
…しかし、人はそれに関わり続ける。
 
それはまるで
天気の話を一生続けるようなものだ、
天気がどうだったか、
ときには非常に暑く、
ときには非常に寒い、
ときには雨で、
ときにはあれ、ときにはこれ。
 
 
しかし、その全ての要点とは何なのか?
 
そして、どうなるのか?
 
どのようにして精神分析は患者を助けるのだろう?
 
 
少しは助けになる。
ただ時間が与えられる、それだけだ。
 
 
2年の間、患者は起こったことについて話し続ける。
この2年間または1年間の間、またはもっと長い間、
ただ患者に時間が与えられる、
その傷は自動的に癒える、
あなたは再び調整される。
 
 
もちろん、
確かな理解も浮かび上がる、
それは、後戻りし、先に進み、
あなたの記憶を折り返し運転のように移動して生まれた理解だ。
 
確かな理解が生まれる
なぜなら
あなたはあなたの記憶を見なければならないからだ。
 
 
この観察によって理解が生まれる
…しかし、それが要点なのではない。
 
 
フロイトは患者自身の『観照』に関心を持ってはいない。
 
彼は
ただ関係すること、
あなたの過去を話すこと、
言葉を通して過去を持ち出すこと、
言葉で表現することで、
深いところにある何かが変わると考える。
 
 
深いところにあるものは何も変わらない。
 
 
小さなゴミが投げ出されるだけだ。
 
 
誰もあなたの話に耳を傾けはしない、
 
 
そして
あなたの話に注意深く耳を傾ける。
 
 
もちろん、それに対する支払いが必要だ。
彼らはプロの聞き手だ。
 
彼らはある意味で役に立つ、
なぜなら
患者は誰かと親しく話をしたいのだから
…それだけでも役に立つ。
 
だかや人々が自分たちの不幸について話すのはそのためだ、
それで、少しは気分が軽くなる、
誰かが自分の話を我慢強く、慈悲を持って聞いてくれた。
 
しかし、もう誰も聞いてくれない、
誰もそんな時間を持っていない。
 
 
バートランド・ラッセルは小さな物語を書いている。
来る世紀、21世紀には、
聞き手の専門職業が生まれるだろうと。
 
どんな地域にも、4〜5件の家ごとに、
専門傾聴者、という標示がしてある
…それは精神分析家であることを示すしるしだ…
 
なぜなら
余分な時間を持つ者は誰1人もいなくなり、
誰もがあまりにも忙しい。
 
妻は夫と話すことができず、
夫は妻と話すことができない、
人々は電話で愛を交わし、
またはお互いに会うのはテレビの画面を通してになるだろう。
 
それが今起ころうとしていることだ、
 
なぜなら
テレビ画面で自分が友人を見て
友人も自分を見ることができるのに、
何のために実際に会うのだ?
 
電話にもまた画面がつくだろう
だから
話をする友人の顔が見える、
友人にも話をする自分が見える、
実際に会うのは何のためだろう?
 
…なぜなら、部屋の中で友人と向かい合ったところで、何をするのだ?
 
それはすでに起こっている、
距離は電話とテレビ画面で埋められる。
接触がなくなれば、
聞き手の専門家が必要になるだろう。
 
精神分析家のところに行けば、
彼らは友人のように話を聞いてくれる。
もちろん支払いをしなくてはならないが
精神分析家は、今や最も高価なものになった、
利用できるのは裕福な人々だけだ。
彼らはそれを自慢する、
「私は分析家のところに5年も通っています。
あなたはもう何年くらいになりますか?」
貧しい人々には払うことができない。
 
 
 
しかし、
東洋における瞑想 meditation の方法は
これとは異なる姿勢を持つ、
 
東洋では
自分に「何が」起こったかについては関心がない、
関心があるのは『誰に』それが起こったかだ。
 
 
 
『誰に』?
 
ということを探し出すことだ。
 
 
フロイト派のソファーに横たわり
あなたはマインド(思考)の対象について関心を持つ。
 
禅堂で坐り
あなたはそれが『誰に』起こったかに関心を持つ。
 
 
「対象」ではなく、『主体』を考える。
not the objects but the subject.
 
 
「そういうことであれば、」
盤珪は言った、
「短気はあなたの本性の一部であることはできない。
もし本性であれば、
あなたはいつでも私にそれを見せることができるはずだ。
あなたが生まれたとき
あなたはそれを持っていなかった、
そして
あなたの両親はそれをあなたに与えなかった
…だから、短気は外側から
あなたの中へとやって来たにちがいない。
私はこう示唆しよう、
それがあなたの中にやって来たときは必ず、
その短気が
耐えることができなくなり、
逃げ出すまで、
あなたはあなた自身を棒で打ちなさい。」
 
 
それは盤珪の冗談だ
…その通りのことをしてはならない、
棒を言葉どおり取ってはならない。
 
禅では、
『気づき』とは自分自身を打つ棒である
と言われている。
 
他に自分自身を打つ方法はない、
 
なぜなら、
もしあなたが普通の棒を使って打っても
肉体は打たれるが、
自分自身は打たれないからだ。
 
肉体を殺すことはできても、
自分自身を殺すことはできない。
 
棒で自分を打つことの意味は、
怒りを感じるとき、
『気づき』を持ち続けること、
そこに『気づき』を持ち込むこと、
注意を払うこと、
意識的になり、
 
短気が我慢できなくなって逃げていくまで
 
『気づき』の棒で意識して内側を打ち続ける、
ということだ。
 
 
短気が唯一我慢できないのは『気づき』だ。
 
 
ただ自分の肉体を棒で打つだけでは意味がない。
 
それこそが人々がしていることだ…
 
他人の肉体を打つか、
自分自身の肉体を打つか。
 
それは盤珪の意味するところではない、
彼は冗談を言いながら、
禅の人々が『気づき』を意味して使う象徴的な言葉
…人が自分を打つために使う棒、杖…
を示した。
 
 
禅の伝統では、
導師 master は死ぬときに自分の棒(杖)を
1番弟子 disciple に
…導師 master が自分の後継者と決めた弟子 disciple …
自分の後を継ぐ弟子 disciple に与える。
 
導師 master はその弟子 disciple に棒(杖)を与える、
それは、
導師 master が生涯持ち続けていたものだ。
 
それは、
この棒(杖)を与えられた者が、
内なる棒(杖)『気づき』に達している、
ということを意味する。
 
導師 master の棒(杖)を受け取ることは、
最大の贈り物だ、
なぜなら
その棒(杖)を通して、
自分の内なる棒(杖)が生まれたことを
受け入れ、承諾し、認める、
 
自分に何が起こったかに『気づく』、
 
『誰に』それが起こったかに『気づく』。
 
そこには区別がある。
間隙が生まれる、
空間ができる、
今や
表層 periphery と
あなたの中心 center とが
同一化されていない。
 
 
盤珪は言う、
「それが自分の中に入ってくるなら、
その怒りは外からやって来たものだ。
あなたは生まれたとき、
それを持っていなかった。
誰も持っていなかった。
両親や他の誰も、贈り物として
それを差し出したりはしない。
それなら、それはどこから来たのだろう。
外からやって来たのに違いない。
表層が別の表層に触れていたに違いない。
表層から、さざ波やうねりを受け取っていたに違いない。
だから、意識的になりなさい。」
 
…なぜなら
あなたが意識 conscious である瞬間
あなたは突然に中心 center に投げ込まれる。
 
 
無意識 unconscious であれば
表層 periphery に生きる。
 
意識 conscious であれば
中心 center に投げ込まれる。
 
 
そして中心 center からは
表層 periphery で起こることを見ることができる。
 
 
そうすれば
もし2人の人間が表層 periphery で触れていて、
その2人が表層 periphery で問題を起こしても、
それはあなたの問題になることはない。
 
あなたはそれを笑うことができる、
あなたはそれを楽しむこともできる。
 
「それはおもしろそうだ」
 
と言うこともできる。
 
 
 
こういうことがあった。
ゴータマ・ブッダがある村の近くを通りかかった。
人々が来て、ゴータマ・ブッダを罵倒した。
ののしり、卑しい言葉を使った
…ゴータマ・ブッダはただそこに立っていた。
彼らは少々困惑した、
なぜなら
ゴータマ・ブッダが反応しなかったからだ。
すると、群集の中から誰かが尋ねた。
「どうして黙っているのだ?
私たちが言っていることに答えろ!」
 
ゴータマ・ブッダは言った、
「あなた方は来るのが遅すぎました。
10年前に来るべきでした、
そうすれば、私は反応したでしょう。
しかし、今や私は
あなた方が私に対してこのような事をしている場所にはいないのです、
 
距離が生まれました。
 
私は今、あなた方が触れることのできない中心 center に入っています。
 
あなた方は来るのが少し遅すぎました。
あなた方には悪いが、
私は楽しんでいます。
 
そして、
私は急いでいます、
なぜなら
私はこれから行く別の村で、人々が私を待っています。
 
もしあなた方が私に対してすることがまだ終わってないなら、
後でこの道に戻ってきます。
もう1度いらっしゃい。
おもしろそうではありませんか。」
 
彼らは困惑した。
このような男をどう扱えばよいのだろう?
 
群集から別の人間が尋ねた。
「本当に何も言うことはないのか?」
 
ゴータマ・ブッダは言った、
「たった今訪ねて来た村で、
人々が私のところにたくさんの菓子の贈り物を持って来てくれました、
ところが、私は空腹のときにだけ食べ物を受け取りますら
そのとき、私は空腹ではなかったので、
彼らの菓子を彼らに返しました。
あなた方に尋ねよう。
その人々はどうすると思いますか?」
 
その男は言った、
「もちろん、彼らは村に戻り
その菓子をプラサード(神の贈り物)として人々に与えただろう。」
 
するとゴータマ・ブッダは笑い出しながら言った、
「あなた方は全く面倒なことになりました、
窮地に陥りました
…どうしますか?
 
あなた方は私にあれだけ卑しい言葉を持ってきた、
そして、私は空腹ではないと言っている…
 
さあ、卑しい言葉を持ち帰りなさい!
 
私はあなた方の村を気の毒に思います、
なぜなら
村の人々はプラサード(神の贈り物)として
あれだけ卑しいものを、
卑しい言葉を受け取るのですから。」
 
 
 
あなたが中心 center にいるとき、
 
「おもしろそう。」
 
と、
表層 periphery で起こっていることを
中心 center から
距離を持って見ることができる。
 
それを楽しむことができる。
 
 
あなたが涼やか cool であれば
あなたは世界全体を楽しむことができる。
 
あなたが熱い hot であれば
あなたはそれを楽しむことはできない、
 
 
なぜなら、
あなたはその中に取り込まれ過ぎ、
あなたを見失い、
あなたは同一化しているからだ。
 
 
その中でひどく混乱しているとき、
どうしてそれを楽しむことができるかね?
 
 
 
これは逆説的に聞こえるかもしれない、
しかし、私は言う、
 
 
覚者 buddha だけが
この世を楽しむことができる。
 
 
そのとき
すべてがおもしろくなる。
 
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
from osho transformation tarot
osho transformation タロット より
 
And The Flowers Showered
 
Talks on Zen
 
Talks given from 31/10/74 am to 10/11/74 am 
English Discourse series
11 Chapters
 
Chapter 3
Chapter title: The temper
2 November 1974 am in Buddha Hall
 
 
この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
 
 
 
 
chapter 3 の英語の全講話です。
 
(以下の英語の講話はこのお話しの全てです。
 
 
素晴らしいお話しなので英語で読める方は
是非読んでみてください。)
 
 
 
The temper
 
 
 
A ZEN STUDENT CAME TO BANKEI AND SAID: 
'MASTER, I HAVE AN UNGOVERNABLE TEMPER -- HOW CAN I CURE IT?'
 
'SHOW ME THIS TEMPER,' 
SAID BANKEI, 
'IT SOUNDS FASCINATING.'
 
'I HAVEN'T GOT IT RIGHT NOW,' 
SAID THE STUDENT,
'SO I CAN'T SHOW IT TO YOU.'
 
'WELL THEN,' 
SAID BANKEI,
'BRING IT TO ME WHEN YOU HAVE IT.' 
 
'BUT I CAN'T BRING IT JUST WHEN I HAPPEN TO HAVE IT,' 
PROTESTED THE STUDENT. 
'IT ARISES UNEXPECTEDLY, AND I WOULD SURELY LOSE IT BEFORE I GOT IT TO YOU.'
 
'IN THAT CASE,' 
SAID BANKEI,
'IT CANNOT BE PART OF YOUR TRUE NATURE. 
 
IF IT WERE, YOU COULD SHOW IT TO ME AT ANY TIME. 
WHEN YOU WERE BORN YOU DID NOT HAVE IT, AND YOUR PARENTS DID NOT GIVE IT TO YOU 
-- SO IT MUST COME INTO YOU FROM THE OUTSIDE. 
 
I SUGGEST THAT WHENEVER IT GETS INTO YOU, 
YOU BEAT YOURSELF WITH A STICK UNTIL THE TEMPER CAN'T STAND IT, 
AND RUNS AWAY.'
 
 
 
 
THE TRUE NATURE IS your eternal nature. 
 
You cannot have it and not have it, it is not something that comes and goes -- it is you. 
 
How can it come and go? 
 
It is your BEING. 
 
It is your very foundation. 
 
It cannot BE sometimes, and NOT BE sometimes; it is always there.
 
 
So this should be the criterion for a seeker of truth, nature, tao: 
that we have to come to the point in our being which remains always and always -- even before you were born it was there, and even when you are dead it will be there. 
 
It is the center. 
 
The circumference changes, 
the center remains absolutely eternal; it is beyond time. 
 
Nothing can affect it, 
nothing can modify it, 
nothing really ever touches it; 
 
it remains beyond all reach of the outside world.
 
 
Go to the sea, and watch the sea. 
Millions of waves are there, 
but deep in its depth the sea remains calm and quiet, deep in meditation; 
the turmoil is just on the surface, just on the surface where the sea meets the outside world, the winds
 
Otherwise, in itself, it always remains the same, not even a ripple; nothing changes.
 
It is the same with you. 
 
Just on the surface where you meet others there is turmoil, anxiety, anger, attachment, greed, lust -- just on the surface where winds come and touch you. 
 
And if you remain on the surface you cannot change this changing phenomenon; it will remain there.
 
Many people try to change it THERE, on the circumference. They fight with it, they try not to let a wave arise. And through their fight even more waves arise, because when the sea fights with the wind there will be more turmoil: now not only will the wind help it, the sea will also help -- there will be tremendous chaos on the surface.
 
All the moralists try to change man on the periphery. 
Your character is the periphery: you don't bring any character into the world, you come absolutely characterLESS, a blank sheet, and all that you call your character is written by others. Your parents, society, teachers, teachings -- all are conditionings. 
 
You come as a blank sheet, and whatsoever is written on you comes from others; 
so unless you become a blank sheet again 
you will not know what nature is, 
you will not know what Brahma is, 
you will not know what tao is.
 
 
So the problem is not how to have a strong character, 
 
the problem is not 
how to attain no- anger, 
how not to be disturbed 
-- no, that is not the problem. 
 
The problem is how to change your consciousness from the periphery to the center. 
 
Then suddenly you see that you have always been calm
Then you can look at the periphery from a distance, and the distance is so vast, infinite, that you can watch as if it is not happening to you. 
In fact, it never happens to you. 
Even when you are completely lost in it, 
it never happens to you: 
something in you remains undisturbed, 
something in you remains beyond, 
something in you remains a witness.
 
So the whole problem for the seeker is how to shift his attention from the periphery to the center; how to be merged with that which is unchanging, and not to be identified with that which is just a boundary. 
 
On the boundary others are very influential, 
because on the boundary change is natural. 
 
The periphery will go on changing -- even a buddha's periphery changes.
 
The difference between a buddha and you is not a difference of character -- 
 
remember this; 
it is not a difference of morality, 
it is not a difference in virtue or nonvirtue, 
 
it is a difference in where you are grounded.
 
You are grounded on the periphery,
a buddha is grounded in the center. 
 
He can look at his own periphery from a distance; 
when you hit him he can see it as if you have hit somebody else, because the center is SO distant. 
It's as if he is a watcher on the hills and something is happening in the valleys and he can see it. 
 
This is the first thing to be understood.
 
 
Second thing: 
it is very easy to control, 
it is very difficult to transform. 
 
It is VERY easy to control. 
You can control your anger, but what will you do? -- you will suppress it. 
And what happens when you suppress a certain thing? 
 
The direction of its movement changes: 
it was going out, 
and if you suppress it, 
it starts going in 
-- just its direction changes.
 
And for anger to go out was good, 
because the poison needs to be thrown out. 
 
It is bad for the anger to move within, 
because that means your whole body mind structure will be poisoned by it. 
 
And then if you go on doing this for a long time... as everybody has been doing, because the society teaches control, not transformation. 
 
The society says, 'Control yourself,' 
 
and through controlling all the negative things have been thrown deeper and deeper into the unconscious, 
and then they become a constant thing within you. 
 
Then it is not a question of your being angry sometimes and sometimes not -- you are simply angry. 
 
Sometimes you explode, 
and 
sometimes you don't explode 
 
because there is no excuse, 
or you have to find an excuse. 
 
And remember, 
you can find an excuse anywhere!
 
 
 
A man, one of my friends, wanted to divorce his wife, so he went to a lawyer, an expert on marriage affairs, and he asked the lawyer, 
'On what grounds can I divorce my wife?' 
The lawyer looked at him and said, 
'Are you married?'
The man said, 
'Of course, yes.'
The lawyer said, 
'Marriage is enough grounds. There is no need to seek any other grounds. If you want a divorce, then marriage is the only thing that is needed, because it will be impossible to divorce a woman if you are not married. If you are married -- enough!'
 
 
 
And this is the situation. 
You ARE angry. 
 
Because you have suppressed so much anger, now there are no moments when you are not angry; at the most, sometimes you are less angry, sometimes more.
Your whole being is poisoned by suppression. 
 
You eat with anger -- and it has a different quality when a person eats without anger: 
it is beautiful to watch him, because he eats nonviolently. 
 
He may be eating meat, but he eats nonviolently; 
 
you may be eating just vegetables and fruits, but if anger is suppressed, you eat violently.
 
Just through eating, your teeth, your mouth release anger. 
You crush the food as if this is the enemy. 
 
 
And remember: 
whenever animals are angry, what will they do? 
 
Only two things are possible 
-- they don't have weapons and they don't have atom bombs, what can they do? 
 
Either with their nails or with their teeth they will do violence to you.
 
These are the natural weapons of the body -- nails and teeth. 
 
It is very difficult to do anything with your nails, because people will say, 
 
'Are you an animal?' 
 
So the only thing remaining to you through which you can express your anger or violence easily is the mouth -- and that too you cannot use to bite anybody. 
 
That's why we say, 
'a bite of bread,' 
'a bite of food,' 
'a few bites.'
 
You eat food violently, as if the food is the enemy. 
 
And remember, 
when the food is the enemy, 
it does not REALLY nourish you, 
it nourishes all that is ill in you. 
 
People with deep suppressed anger eat more; 
they go on gathering unnecessary fat in the body -- and have you observed that fat people are almost always smiling? 
 
Unnecessarily, 
even if there is no cause,
fat people always go on smiling. 
 
Why? 
 
This is their face, 
this is the mask: 
 
they are so much afraid of their anger and their violence that they have to keep a smiling face continuously on themselves -- and they go on eating more.
 
Eating more IS violence, anger. 
 
And then this will move in every way, in every arena of your life: 
you will make love, 
but it will be more like violence than like love, 
it will have much aggression in it. 
Because you never observe one another making love, 
you don't know what is happening, and 
you cannot know what is happening to you 
because you are almost always so much in aggression.
 
That's why deep orgasm through love becomes impossible -- because you are afraid deep down that if you move totally without control, you may kill your wife or kill your beloved, or the wife may kill the husband or the lover. 
You become so afraid of your own anger!
 
Next time you make love, watch: 
you will be doing the same movements as are done when you are aggressive. 
Watch the face, have a mirror around so you can see what is happening to your face! 
All the distortions of anger and aggression will be there.
 
In taking food, you become angry: 
look at a person eating. 
Look at a person making love
-- the anger has gone so deep that even love, an activity totally opposite to anger, even that is poisoned; eating, an activity absolutely neutral, even that is poisoned. 
 
Then you just open the door and there is anger, 
you put a book on the table and there is anger, 
you put off the shoes and there is anger, 
you shake hands and there is anger
-- because now you are anger personified.
 
Through suppression, 
mind becomes split. 
 
The part that you accept becomes the conscious, 
and 
the part that you deny becomes the unconscious. 
 
This division is not natural, 
the division happens because of repression. 
 
And into the unconscious you go on throwing all the rubbish that society rejects
 
-- but remember, 
whatsoever you throw in there becomes more and more part of you: 
it goes into your hands, 
into your bones
into your blood, 
into your heartbeat. 
 
Now psychologists say that almost eighty percent of diseases are caused by repressed emotions: 
so many heart failures means so much anger has been repressed in the heart, 
so much hatred that the heart is poisoned.
 
Why? 
Why does man suppress so much and become unhealthy? 
 
Because the society teaches you to control, 
not to transform, 
and the way of transformation is totally different. 
 
 
 
 
For one thing, it is not the way of control at all, it is just the opposite.
 
 
 
 
First thing: 
in controlling you repress, 
in transformation you express. 
 
But there is no need to express on somebody else because the 'somebody else' is just irrelevant. 
 
 
Next time you feel angry 
go and run around the house seven times, 
and after it 
sit under a tree and watch where the anger has gone. 
 
You have not repressed it, 
you have not controlled it, 
you have not thrown it on somebody else
-- because if you throw it on somebody else a chain is created, 
because the other is as foolish as you, as unconscious as you. 
 
If you throw it on another, 
and if the other is an enlightened person, 
there will be no trouble; 
he will help you to throw and release it and go through a catharsis. 
 
But the other is as ignorant as you -- if you throw anger on him he will react. 
 
He will throw more anger on you, 
he is repressed as much as you are. 
 
Then there comes a chain: 
you throw on him, 
he throws on you, 
and you both become enemies.
 
 
Don't throw it on anybody.  
 
 
It is the same as when you feel like vomiting: 
you don't go and vomit on somebody. 
Anger needs a vomit. 
You go to the bathroom and vomit! 
It cleanses the whole body
-- if you suppress the vomit it will be dangerous, 
and 
when you have vomited you will feel fresh, 
you will feel unburdened, unloaded, good, healthy. 
 
Something was wrong in the food that you took and the body rejects it. 
 
 
Don't go on forcing it inside.
 
 
Anger is just a mental vomit. 
Something is wrong that you have taken in and your whole psychic being wants to throw it out, but there is no need to throw it out on somebody. Because people throw it on others, society tells them to control it.
 
 
There is no need to throw anger on anybody. 
 
 
You can go to your bathroom, 
you can go on a long walk 
-- it means that something is inside that needs fast activity so that it is released. 
 
Just do a little jogging and you will feel it is released, 
or 
take a pillow and beat the pillow, fight with the pillow, 
and 
bite the pillow until your hands and teeth are relaxed. 
 
Within a five-minute catharsis you will feel unburdened, 
and once you know this you will never throw it on anybody, 
because that is absolutely foolish.
 
 
The first thing in transformation then is to express anger, but not on anybody, because if you express it on somebody you cannot express it totally. 
 
You may like to kill, 
but it is not possible; 
 
you may like to bite, 
but it is not possible. 
 
But that can be done to a pillow.
A pillow means 'already enlightened'; 
the pillow is enlightened, a buddha. 
The pillow will not react, 
and the pillow will not go to any court, 
and the pillow will not bring any enmity against you, 
and the pillow will not DO anything. 
 
The pillow will be happy, 
and the pillow will laugh at you.
 
 
 
 
The second thing to remember: 
be aware. 
 
In controlling, no awareness is needed; 
you simply do it mechanically, like a robot. 
 
The anger comes and there is a mechanism 
-- suddenly your whole being becomes narrow and closed. 
If you are watchful control may not be so easy.
 
 
Society never teaches you to be watchful, 
because when somebody is watchful, he is wide open. 
 
That is part of awareness 
-- one is open, 
and if you want to suppress something and you are open, it is contradictory, it may come out. 
 
The society teaches you how to close yourself in, 
how to cave yourself in 
-- don't allow even a small window for anything to go out.
 
 
But remember: 
when nothing goes out, 
nothing comes in either. 
 
When the anger cannot go out, 
you are closed.
 
If you touch a beautiful rock, nothing goes in; 
you look at a flower, nothing goes in: 
your eyes are dead and closed. 
You kiss a person -- nothing goes in, because you are closed. 
 
You live an insensitive life.
 
Sensitivity grows with awareness. 
 
Through control you become dull and dead -- that is part of the mechanism of control: 
if you are dull and dead then nothing will affect you, as if the body has become a citadel, a defense. Nothing will affect you, neither insult nor love.
 
But this control is at a very great cost, an unnecessary cost; then it becomes the whole effort in life: how to control yourself -- and then die! 
The whole effort of control takes all your energy, and then you simply die. 
And the life becomes a dull and dead thing; 
you somehow carry it on.
 
The society teaches you control and condemnation, because a child will control only when he feels something is condemned. 
 
Anger is bad; 
sex is bad; 
everything that has to be controlled has to be made to look like a sin to the child, to look like evil.
 
 
 
Mulla Nasruddin's son was growing up. 
He was ten years of age and so Mulla thought: Now, this is the time. 
 
He is old enough and the secrets of life must be revealed to him. So he called him into his study and gave him the lowdown on sex among birds and bees. And then in the end he told him, 
'When you feel your younger brother is old enough, you tell the whole thing to him also.'
 
Just a few minutes after, when he was passing by the rooms of the kids, he heard the older one, the ten-year-old one, already at work. He was telling the younger: 
'Look, you know what people do, that stuff people do when they want to get a child, a baby? Well, Dad says birds and bees do the same darn thing.'
 
 
 
A deep condemnation enters about all that is alive. 
And sex is the most alive thing -- has to be! 
It is the source. 
 
Anger is also a most alive thing, because it is a protective force. 
If a child cannot be angry at all, he will not be able to survive. 
You have to be angry in certain moments. 
The child has to show his own being, 
the child has to stand in certain moments upon his own ground; 
otherwise he will have no backbone.
 
Anger is beautiful; sex is beautiful. 
 
But beautiful things can go ugly. 
 
That depends on you. 
 
If you condemn them, 
they become ugly; 
 
if you transform them, 
they become divine. 
 
Anger transformed becomes compassion 
-- because the energy is the same.
 
A buddha is compassionate: 
from where does his compassion come? 
 
This is the same energy that was moving in anger; 
now it is not moving in anger, 
the same energy is transformed into compassion. 
 
From where does love come?
 
A Buddha is loving; a Jesus is love.
 
The same energy that moves into sex becomes love.
 
 
So remember,
 
if you condemn a natural phenomenon 
it becomes poisonous, 
it destroys you, 
it becomes destructive and suicidal.
 
If you transform it, 
it becomes divine, 
it becomes a God-force,
it becomes an elixir; 
you attain through it to immortality, to a deathless being. 
 
But transformation is needed.
 
 
 
In transformation you never control, 
you simply become more aware. 
 
 
 
Anger is happening: 
you have to be aware that anger is happening 
-- watch it! It is a beautiful phenomenon -- 
energy moving within you, becoming hot!
 
It is just like electricity in the clouds. 
People were always afraid of electricity; 
they thought in olden days, 
when they were ignorant, that this electricity was the god being angry, being threatening, trying to punish -- creating fear so that people would become worshippers, so that people would feel that the god was there and he would punish them. 
 
But now we have domesticated that god. 
Now that god runs through your fan, 
through your air conditioner, 
through the fridge: 
whatsoever you need, that god serves. 
That god has become a domestic force, 
it is no longer angry and no longer threatening. 
Through science an outer force has been transformed into a friend.
The same happens through religion for inner forces.
 
Anger is just like electricity in your body: 
you don't know what to do with it. 
 
 
 
Either 
you kill somebody else 
or 
you kill yourself. 
 
 
 
The society says if you kill yourself it is okay, 
it is your concern, 
but don't kill anybody else 
-- and as far as society goes that is okay. 
 
So either you become aggressive 
or you become repressive.
 
 
 
Religion says both are wrong. 
 
 
 
The basic thing that is needed is to become aware and to know the secret of this energy, anger, this inner electricity. 
 
It is electricity because you become hot; 
when you are angry your temperature goes hot, and you cannot understand the coolness of a buddha, because when anger is transformed into compassion everything is cool.
 
A deep coolness happens. 
 
Buddha is never HOT; 
he is always cool, centered, 
 
because he now knows how to use the inner electricity. 
 
Electricity is hot -- it becomes the source of air conditioning. 
Anger is hot -- it becomes the source of compassion. 
 
Compassion is an inner air conditioning. 
Suddenly everything is cool and beautiful, and nothing can disturb you, and the whole existence is transformed into a friend. 
 
Now there are no more enemies... 
 
because 
 
when you look through the eyes of anger, 
somebody becomes an enemy; 
 
when you look through the eyes of compassion, 
everybody is a friend, a neighbor. 
 
 
When you love, everywhere is God; 
when you hate, everywhere is the devil. 
 
 
It is your standpoint that is projected onto reality.
 
 
Awareness is needed, 
not condemnation 
 
-- and through awareness transformation happens spontaneously. 
 
If you become aware of your anger, 
understanding penetrates. 
 
Just watching, 
with no judgment, 
not saying good, 
not saying bad, 
just watching in your inner sky. 
 
There is lightning, anger, you feel hot, the whole nervous system shaking and quaking, and you feel a tremor all over the body -- a beautiful moment, because when energy functions you can watch it easily; when it is not functioning you cannot watch. 
 
 
Close your eyes and meditate on it. 
 
 
Don't fight, 
just look at what is happening
-- the whole sky filled with electricity, so much lightning, so much beauty -- 
just lie down on the ground and look at the sky and watch. 
 
 
Then do the same inside.
 
 
Clouds are there, because without clouds there can be no lightning -- DARK clouds are there, thoughts. 
Somebody has insulted you, 
somebody has laughed at you, 
somebody has said this or that... 
many clouds, dark clouds in the inner sky and much lightning. 
 
 
Watch! 
 
 
It is a beautiful scene -- terrible also, because you don't understand. 
 
It is mysterious, and if mystery is not understood it becomes terrible, you are afraid of it. And whenever a mystery is understood, it becomes a grace, a gift, because now you have the keys -- and with keys you are the master.
 
You don't control it, 
you simply become a master 
when you are aware. 
 
And the more you become aware, 
the more inwards you penetrate, 
because awareness is a going-inwards,
it always goes inwards: 
more aware, more in; 
totally aware, perfectly in; 
 
less aware, more out; 
unconscious -- you are completely out, 
out of your house wandering around. 
 
 
 
Unconsciousness is a wandering outside; 
 
consciousness is a deepening of the inside.
 
 
 
So look!
-- and when anger is not, it will be difficult to look: what to look at? 
 
The sky is so vacant, and you are not yet capable of looking at emptiness. 
 
When anger is there, look, watch, and soon you will see a change. 
 
The moment the watcher comes in, 
the anger has already started becoming cool, the heat is lost. 
 
Then you can understand that the heat is given by you; your identification with it makes it hot, and the moment you feel it is not hot, the fear is gone, and you feel unidentified with it, different, a distance. 
 
It is there, lightning around you,
but you are not it. 
 
A hill starts rising upwards. 
 
You become a watcher: 
down in the valley, much lightning... distance grows more and more... and a moment comes when suddenly you are not joined to it at all. 
 
The identity is broken, 
and the moment the identity breaks, 
IMMEDIATELY the whole hot process becomes a cool process -- anger becomes compassion.
 
 
 
Sex is a hot process, 
love is not. 
 
 
 
But all over the world people always talk about warm love. 
 
Love is not warm; 
 
love is absolutely cool, 
but not cold
-- it is not cold 
because it is not dead. 
It is cool, just like a cool breeze. 
But it is not hot, not warm. 
 
Because of the identification with sex, 
the conception has come to the mind that love should be warm. 
 
Sex IS hot. 
It is electricity, and you are identified with it. 
 
The more love, the more coolness
-- you may even feel cool love as cold; 
 
 
 
that is your misunderstanding, 
because you feel love has to be hot. 
 
It cannot be. 
 
 
 
The SAME energy, when not identified with, becomes cool. 
 
Compassion is cool, 
and if your compassion is still hot, 
understand it is not compassion.
 
There are people who are too hot, and they think they have much compassion. 
 
They want to transform the society, 
they want to change the structure, 
they want to do this and that, 
they want to bring a utopia into the world: 
the revolutionaries, 
the communists, 
the utopians -- and they are very hot.
 
And they think they have compassion -- no, they have only anger. 
 
The object has changed. 
 
Now their anger has a new object, a very impersonal object
-- the society, 
the structure of the society, 
the state, 
the situation. 
 
They are very hot people. 
 
Lenin, or Stalin, or Trotsky -- they are hot people but they are not against anybody in particular, they are against a structure. 
Gandhi is a hot person -- against the British Empire. 
 
The object is impersonal, 
that's why you cannot feel that he is angry -- but he IS angry. 
 
He wants to change something in the outside world, and wants to change it so immediately that he is impatient, fighting. 
 
The fighting may choose nonviolence as the means, but the fighting IS violence. 
 
 
Fight as such is violence. 
 
 
You can choose nonviolent means to fight -- women have always chosen them. 
Gandhi did nothing else, he simply used a feminine trick.
 
If a husband wants to fight, 
he will beat his wife; 
and 
if the wife wants to fight, 
she will beat herself. 
 
This is as old as woman -- and woman is older than man! 
 
She will start beating herself; 
that is her way to fight. 
She is violent, violent against herself.
 
And remember, 
beating a woman you will feel guilty, and sooner or later you will have to come down and make a compromise. 
 
But beating herself, she never feels guilty. 
So either you beat a woman and you feel guilty, or she beats herself and then also you feel guilty 
-- that you created the situation in which she is beating herself. 
In both cases she wins.
 
 
The British Empire was defeated because it was a male aggressive force, and the British Empire could not understand this feminine fight of Gandhi's: he will fast unto death -- and then the whole British mind will feel guilty. Now you cannot kill this man, because he is not fighting in any way with you, he is simply purifying his own soul -- the old feminine trick, but it worked.
 
There was only one way to defeat Gandhi, and that was impossible.
 
It was for Churchill to go on a fast unto death, and that was impossible. 
 
Either you are hot against someone in particular or just hot against some structure in general, but the heat remains.
 
A Lenin is not compassion, cannot be. 
 
 
 
 
Buddha is compassion
-- not fighting at all with anything, simply being and allowing things to be as they are; they move on their own. 
 
 
 
 
Societies change on their own, 
there is no need to change them; 
they change as trees change in season. 
Societies change on their own -- old societies die on their own, there is no need to destroy them! 
And new societies are born just like new children, new babies, on their own. 
There is no need to force an abortion, it goes on automatically by itself. 
 
 
Things move and change. 
 
 
And this is the paradox: 
that they go on moving and changing and still in a sense they remain the same -- because there will be people who are poor, and there will be people who are rich; there will be people who are helpless, powerless, and there will be people who have power over them. 
Classes cannot disappear -- that is not in the nature of things. 
Human society can never become classless.
 
Classes can change. 
 
Now in Russia, there are not the poor and the rich but the governed and the governors -- they are there now. 
 
Now a new class division has arisen: 
the bureaucrats and the ordinary people, 
the managers and the managed
-- the same, it makes no difference. 
 
If now Tamerlane was born in Soviet Russia, he would become the prime minister. 
If Ford was born in Soviet Russia, he would become the general secretary of the communist party, he would manage from there.
 
Situations go on changing, but in a subtle sense they remain the same. 
The managers, the managed; the governors, the governed; the rich, the poor -- they remain. 
You cannot change it, because society exists through contradiction. 
 
 
 
A real man of compassion will be cool; 
he cannot be a revolutionary really, because revolution needs a very hot mind and heart and body.
 
No control, no expression on others, more awareness -- and then consciousness shifts from the periphery to the center.
 
 
 
Now try to understand this beautiful anecdote.
 
 
A ZEN STUDENT CAME TO BANKEI AND SAID: 
'MASTER, I HAVE AN UNGOVERNABLE TEMPER -- HOW CAN I CURE IT?'
 
 
He has accepted one thing, that he has an ungovernable temper; 
now he wants to cure it. 
 
Whenever there is a disease, 
first try to find whether there is really disease or a misunderstanding, 
because if there is a real disease then it can be cured, 
but if it is not a real disease, just a misunderstanding, then no medicine will help. 
Rather, on the contrary, every medicine that is given to you will be harmful. 
 
So first be perfectly clear about a disease, 
whether it is there or not, 
or whether you are simply imagining it, 
or whether you are simply thinking that it is there. 
 
It may not be there at all; 
it may be simply a misunderstanding. 
 
And the way man is confused, many of his diseases don't exist at all -- he simply believes they are there.
 
You also are in the same boat
so try to understand this story very deeply; 
it may be helpful to you.
 
The student said,
 
 
'MASTER, I HAVE AN UNGOVERNABLE TEMPER -- HOW CAN I CURE IT?'
 
 
The disease is accepted, 
he does not doubt it; 
he is asking for the cure.
 
Never ask for the cure
 
First try to find out whether the disease exists or not. 
 
First move into the disease and diagnose it, 
decipher it, scrutinize it; 
move into the disease first before you ask for a cure. 
 
Don't accept any disease just on the surface, because the surface is where others meet you, and the surface is where others reflect in you, and the surface is where others color you. 
 
It may not be a disease at all, 
it may be just the reflection of others.
 
It is just like a silent lake, 
and you stand on the bank of the lake with your orange robe, and the water near you looks orange, reflects you. 
The lake may think that it has become orange. 
 
How to get rid of it? 
Where to find the cure
Whom to ask?
 
Don't go to the experts immediately. 
 
 
First try to find out whether it is really a disease or just a reflection. 
 
 
Just being alert will do much: 
many of your diseases will simply disappear without any cure, no medicine is needed.
 
 
'SHOW ME THIS TEMPER,' 
SAID BANKEI, 
'IT SOUNDS FASCINATING.'
 
 
A man like Bankei immediately starts working on the disease, not on the cure
 
He is not a psychoanalyst; 
a psychoanalyst starts working for the cure 
-- and that is the difference. 
 
Now new trends in psychiatry are coming up which start working on the disease, not on the cure
 
New trends are developing: they are nearer to reality, and nearer to zen, and nearer to religion. 
 
Within this century psychiatry will take on a more religious color, and then it will not be just a therapy, it will REALLY become a healing force -- because therapy thinks of a cure, and a healing force brings your consciousness to the disease. 
 
Out of a hundred diseases, ninety-nine will disappear simply by bringing your consciousness to them. 
 
They are false diseases; 
they exist because you are standing with your back towards them. 
 
Face them, and they go, and they disappear. 
 
 
 
That is the meaning of encounter 
-- and encounter groups can be helpful, 
because the whole message is how to encounter things as they are. 
 
 
 
Don't think of cure, 
don't think of medicine, 
don't think of what to do; 
 
the real thing is, first, to know what is there.
 
 
 
Mind has deceived you in so many ways that a disease appears on the surface but there is no disease deep down; or a disease appears on the surface, but you move within and you find there are other diseases, and that was just a trick to deceive you, that was not the real disease.
 
 
 
A man came to me and he said,
'My mind is very much disturbed. I am continuously tense, anxiety is there, I cannot sleep. So give me some technique of meditation -- how to be silent and at peace.'
 
I asked him, 
'What is really the problem? 
Do you really want to be at peace with yourself?'
 
He said, 
'Yes, I am a seeker, and I have been to Sri Aurobindo's ashram, and I have been to Sri Raman's ashram, and I have been everywhere, and nothing helps.'
 
So I asked him, 
'Have you ever thought about it -- that when nothing helps maybe the disease is false? 
Or that you have labeled it falsely? 
Or that the container contains something else which is not written on it? 
You easily accept that Sri Aurobindo failed, Sri Raman failed, and you have moved all around....' 
 
And he was feeling very victorious that everybody had failed, and nobody had been able to help, that everybody was bogus. 
 
And then I told him, 
'Sooner or later you will go and say the same about me also, 
because I don't see that you are a spiritual seeker, I don't see that you are really interested in being at peace with yourself. 
Just tell me, what is your anxiety? 
What is your tension? 
Just go on telling me what thoughts come continuously to you, and why you go on thinking about them.'
 
He said,
'Not many, only one thought: I had a son, he is still alive -- but no more a son to me. I have thrown him out. I am a rich man, and he had fallen in love with a girl not of my caste, and economically also below my status, uneducated. And I told the boy, "If you want to marry this girl then never come back to this house." And he never came back.'And now I am getting old. The boy lives in poverty with the girl, and I continuously think about the boy, and THIS is my trouble. You give me some technique of meditation.' 
 
I said: 
'How will this technique of meditation help? 
-- because the technique of meditation will not bring the boy home. 
And this is such a simple thing, 
there is no need to go to Aurobindo, 
there is no need to go to Sri Raman or come to me. 
A sword is not needed for your problem, a needle will do. 
You are looking for swords, and then swords prove failures because you need only a needle. 
This is not a spiritual problem, just ego. 
Why shouldn't one fall in love with a girl who is economically below one's status? 
Is love something economical? 
Something to think of in terms of finance, economics, money, wealth, status?'
 
 
I told him one story: 
One marriage agent came to a young man and told him, 
'I have got a very beautiful girl, just exactly fit for you.'
 
The boy said, 
'Don't bother me. I am not interested.'
 
The marriage agent said, 
'I know, but don't be worried, I have another girl who will bring five thousand rupees in dowry.'
 
The young man said,
'Stop talking nonsense. I am not interested in money either! You simply go.'
 
The man said, 
'I know. You don't bother! If five thousand is not enough, I have another girl who will bring twenty-five thousand rupees in dowry.'
 
The boy said
'You simply get out of my room, because if ever I get married, it is for me to think about, it is not a question for an agent to settle. You simply get out of it! Don't make me angry!'
 
The agent said,
'Okay, now I understand. You are not interested in beauty, you are not interested in money. I have a girl who comes from a family of long tradition, a very famous family -- everybody knows about it, and four prime ministers have come from that family in the past. So you are interested in family, right?'
 
Now by this time the boy was very very angry and he wanted to physically throw this man out. And when by physically forcing him he was just throwing him out of the door, he said, 
'If I ever get married it will be for love and nothing else.'
 
The agent said, 
'Then why in the first place didn't you tell me? I have those kinds of girls too.'
 
 
I told this man this story.
 
Love is not manageable, 
it is simply something that happens, and the moment you try to manage it everything misfires.
 
So I told that man,
'Just go and ask your son's forgiveness -- that's what is needed. 
No meditation technique, no Aurobindo, no Raman, no Osho, nobody can help you. 
Simply go to your boy and ask his forgiveness! -- that's what is needed. 
Accept and welcome him back. 
It is just the ego that is troubling you.
And if EGO is troubling you then the disease is different. 
You seek meditation, and you think through meditation silence will be possible? No.'
 
 
Meditation can be a help only to that person who has come to a right understanding with his inner diseases, when he has come to understand which disease is false, which disease is wrongly identified, and which disease is not there at all -- the container is empty.
 
When one has come to an understanding, a deep understanding with all one's diseases, then ninety-nine percent of the diseases disappear -- because you can do something and they disappear. 
 
 
 
 
Then only one thing remains, 
and that one thing is spiritual search.... 
 
 
 
 
A deep anguish, unrelated to this world, not related with anything in this world: 
son, father, money, prestige, power -- nothing. 
 
It is not related to them, 
it is simply existential. 
 
 
 
 
Deep down, if you can pinpoint it, 
it is HOW TO KNOW ONESELF. 
 
Who am I? 
 
 
 
 
Then this anguish becomes the search. 
Then meditation can help -- never before it. 
 
 
Before it, other things are needed: 
needles will do, 
why carry a sword unnecessarily? 
 
And where needles will do, swords will be failures. 
 
This is what is happening to millions of people all around the world.
 
This Bankei is a master. 
He immediately got to the point, to the business.
 
 
'SHOW ME THIS TEMPER,' 
said he,
'IT SOUNDS FASCINATING.'
 
 
It sounds fascinating, really. 
 
Why does this Bankei say it sounds fascinating? -- because the whole thing is false. 
 
This boy, this student has never looked within. 
He is seeking for a method and he has not diagnosed what his disease is.
 
 
'I HAVEN'T GOT IT RIGHT NOW,' 
SAID THE STUDENT,
'SO I CAN'T SHOW IT TO YOU.'
 
 
You cannot manage to bring about anger, can you? 
 
If I tell you: 'Be angry right now,' what will you do? 
 
Even if you act, even if you manage somehow to pretend, it will not be anger, because deep down you will remain cool and acting. 
 
It happens! 
 
What does it mean, 'it happens'? 
 
It means it happens only when you are unconscious. 
 
If you TRY to bring it, you are conscious.
It cannot happen when you are conscious, 
 
it can happen only when you are unconscious. 
 
Unconsciousness is a MUST -- without it anger cannot happen. 
 
But still, the boy said:
 
 
'I HAVEN'T GOT IT RIGHT NOW, SO I CAN'T SHOW IT TO YOU.' 
 
'WELL THEN,' 
SAID BANKEI, 
'BRING IT TO ME WHEN YOU HAVE IT.'  
 
'BUT I CAN'T BRING IT JUST WHEN I HAPPEN TO HAVE IT,' 
PROTESTED THE STUDENT.
'IT ARISES UNEXPECTEDLY, AND I WOULD SURELY LOSE IT BEFORE I GOT IT TO YOU.'
 
 
Now, Bankei has put him on the right path. 
 
He has already moved along, 
he is already nearing the goal, 
because he is now becoming aware of things of which he was never aware. 
 
 
The first thing he becomes aware of is that he cannot produce it right now. 
 
It cannot be produced; 
it happens when it happens 
-- it is an unconscious force, 
you cannot bring it about consciously. 
 
That means if he goes further, 
the next step will be that he remains conscious, 
and if you remain conscious it cannot happen.
 
Even while anger is happening, 
if you suddenly become conscious it drops
 
Try it. 
 
Just in the middle, when you are feeling very hot and would like to commit murder, suddenly become aware, and you will feel something has changed: 
a gear inside 
-- you can feel the click. 
 
Something has changed, 
now it is no more the same thing. 
 
Your inner being has relaxed. 
 
It may take time for your outer layer to relax, 
but the inner being has already relaxed. 
 
The cooperation is broken; 
now you are not identified.
 
 
 
Gurdjieff used to play a very beautiful trick on his disciples. 
 
You are sitting here, and he will create a situation; 
he will tell you, 
'Somebody, A, is coming, and when he comes I will behave rudely with him, very rudely -- and you all have to help me.'
 
Then A comes and Gurdjieff laughs and he says, 
'You are looking a perfect fool!'
 
-- and everybody looks at the man and shows him that everybody agrees. 
 
Then Gurdjieff will say nasty things about this man, and everybody nods and feels in agreement. 
 
The man gets angrier and angrier, and Gurdjieff will go on and on, and everybody nods as if there is complete agreement, and the man becomes hotter and hotter -- and then he explodes. 
And when he explodes, suddenly Gurdjieff says 
 
'Stop and look!'
 
Something inside relaxes. 
Immediately the man understands he has been moved into a situation, 
he has become angry
-- and the moment he realizes that this is a situation, that Gurdjieff has played a trick, the gear changes: 
he becomes alert, aware. 
 
The body will take a little time to cool down, 
but deep at the center, 
there everything is cool and he can look at himself now.
 
The student is already on the path 
-- Bankei has put him immediately on the path. 
 
The first thing he has become aware of is: 
'I cannot show it to you right now, because it is not there.'
 
 
'WELL THEN, 
BRING IT TO ME WHEN YOU HAVE IT.'
 
 
A second step has been taken.
 
 
'BUT I CAN'T BRING IT JUST WHEN I HAPPEN TO HAVE IT,' PROTESTED THE STUDENT. 'IT ARISES UNEXPECTEDLY.'
 
 
'I don't know when it will arise. I may be very far away, you may not be available, and, moreover, even if I bring it to you, by the time I reach you it will not be there.' 
 
He has already arrived at a deep understanding.
 
You cannot bring anger to me, can you? ... 
 
Because in the very effort to bring it, you will become aware. If you are aware, the grip is lost; it starts subsiding. By the time you have reached me it will be no more.
 
And it was easier to reach Bankei; 
it is difficult to reach me, 
you will have to pass through Mukta. 
By the time the appointment is given and by the time you reach me, it will not be there. 
Hence the appointment -- because otherwise you will bring problems unnecessarily. 
 
They drop automatically by themselves -- and if they persist, then they are WORTH bringing to me.
 
By the time you come to me you will have already passed over it; and if you understand, that means that things that come and go are not worth paying any attention to -- they come and go. 
 
 
You always remain, 
they come and go. 
 
 
YOU are the thing to be more attentive about, not things that come and go -- they are like seasons, climate changes: 
in the morning it was different, 
in the evening it is again different. 
 
 
It changes. 
 
 
Find out that which doesn't change.
 
 
The student has already reached a beautiful understanding. He says:
 
 
'UNEXPECTEDLY IT ARISES, AND I WOULD SURELY LOSE IT BEFORE I GOT IT TO YOU.'
 
'IN THAT CASE,' 
SAID BANKEI, 
'IT CANNOT BE PART OF YOUR TRUE NATURE.'
 
 
... Because true nature is always there.
 
It never arises and never sets, 
it is always there. 
 
Anger arises, goes; 
hate arises, goes; 
your so-called love arises, goes. 
 
Your nature is always there.
 
So don't be too bothered and concerned with all that comes and goes; 
otherwise you can remain concerned with it for years and years, and lives and lives, and you will never come to the point.
 
 
That's why Freudian psychoanalysis never serves much purpose. 
The patient lies down on the couch for years together -- three years, four years, five years, he goes on talking, talking about things that come and go. 
 
Remember, 
the whole Freudian analysis is concerned with things that come and go: 
what happened in your childhood, 
what happened in your youth, 
what happened in your sex life, 
what happened in your relations with others 
-- it goes on and on! 
 
It is concerned with what happened, not to whom it happened -- and that is the difference between Bankei and Freud.
 
If you are concerned with what happened then... so much has happened. 
 
Even in twenty- four hours so much happens that if you relate it, it will take years -- and you go on relating. 
It is just like talking about the weather for your whole life, how it has been: sometimes very hot, sometimes very cloudy, sometimes rainy, sometimes this and that. 
 
But what is the point of it all?
And what happens? 
How does the psychoanalysis help a patient? 
 
It helps a little. 
It simply gives time, that's all. 
 
For two years you are continuously talking about things that happened. 
These two years, or one year, or even more, just give you time; the wound heals automatically, you become readjusted again. 
 
Of course, a certain understanding also arises, the understanding that arises when you go backwards, and come forwards, move like a shuttle in your memory. 
 
A certain understanding arises because you have to watch your memories. 
 
 
 
Because of this watching... 
but that is not the main thing.
 
 
 
Freud is not concerned with your witnessing. 
 
He thinks that just by relating, telling your past, bringing it out through words, verbalization, something deep is changing. 
 
Nothing deep is changing. 
 
A little garbage is thrown out. 
 
Nobody listened to you, and Freud and his psychoanalysts are listening to you so attentively. 
 
Of course, you have to pay for it. 
They are professional listeners. 
 
They help in a way, because you would like to talk to someone intimately -- even that helps. 
 
That's why people talk about their miseries; 
they feel a little relaxed, somebody has heard patiently, with compassion. 
 
But now nobody listens, 
nobody has that much time.
 
 
Bertrand Russell has written a small story. 
In the coming century, the twenty-first century, there will be a great profession of professional listeners. 
 
In every neighborhood, every four or five houses there will be a house with a sign: Professional Listener -- that is what psychoanalysis is -- because nobody will have time, everybody will be in such a hurry. 
 
The wife will not be able to talk to the husband, 
the husband will not be able to talk to the wife, 
people will make love through phone calls, 
or will see each other on the television screen. 
 
That is going to happen, 
because what is the use of going to meet a friend when you can see him on the television screen, he can see you? 
 
Phones will have screens also so that you can see your friend talking to you, he can see you talking, so what is the point? 
 
... Because what will you do just sitting in front of each other in a room? 
 
It is happening already: 
the distance is covered by the telephone and the television. 
Contact will be lost, so professional listeners will be needed.
 
You go to psychoanalysts and they listen like a friend. 
Of course you have to pay -- and psychoanalysis is the most costly thing in the world now, only very rich people can afford it. 
People boast about it: 'I have been in psychoanalysis for five years. How many years have you been in it?' 
Poor people cannot afford it.
 
 
 
But the Eastern methods of meditation have a different attitude: 
 
they are not concerned with what happened to you, 
they are concerned with to whom it happened. 
 
 
 
Find out: to whom?
 
 
 
Lying down on a Freudian couch you are concerned with the objects of the mind. 
 
Sitting in a zen monastery you are concerned with to whom it happened -- 
 
not the objects 
but the subject.
 
 
'IN THAT CASE,' 
SAID BANKEI, 
'IT CANNOT BE PART OF YOUR TRUE NATURE. 
IF IT WERE,YOU COULD SHOW IT TO ME AT ANY TIME. 
WHEN YOU WERE BORN YOU DID NOT HAVE IT, AND YOUR PARENTS DID NOT GIVE IT TO YOU -- SO IT MUST COME INTO YOU FROM THE OUTSIDE. 
 
I SUGGEST THAT WHENEVER IT GETS INTO YOU, YOU BEAT YOURSELF WITH A STICK UNTIL THE TEMPER CAN'T STAND IT, AND RUNS AWAY.'
 
 
He is simply joking -- don't start doing it, 
don't take the stick literally.
 
In zen, awareness is called the stick by which you beat yourself. 
 
There is no other way to beat yourself, 
because if you take an ordinary stick the body will be beaten, not you. 
 
You can kill the body, but not YOU. 
 
To beat with a stick means: 
when you feel angry, 
continuously be aware; 
bring awareness to it, 
become alert, 
conscious, 
and beat with the stick of awareness continuously inside, 
 
 
UNTIL THE TEMPER CAN'T STAND IT AND RUNS AWAY. 
 
 
The only thing that the temper CAN'T stand is awareness. 
 
 
Just beating your body won't do. 
 
 
That's what people have been doing -- beating others' bodies or their own. 
 
 
That's not Bankei's meaning -- he is joking, and he is indicating a symbolic term zen people use for awareness: the stick one has to beat oneself with.
 
 
 
In the zen tradition, when a master dies he gives his stick, the staff, to his chief disciple, to him whom he chooses as his heir, he who is going to replace him. 
He gives him the stick, the staff, that he carried his whole life. 
The meaning is that he to whom this stick is given has attained to the inner stick -- to awareness. 
 
To receive the stick of the master is the greatest gift, because he accepts through it, agrees, recognizes, that now your inner stick is born; you have become aware of what happens to you, to WHOM it happens. 
 
The distinction is there. 
The gap has come in, the space is there; 
now the periphery and your center are not identified.
 
 
Said Bankei, 
 
'I SUGGEST THAT WHENEVER IT GETS INTO YOU, this anger, it must be coming from outside. 
You didn't have it when you were born; 
nobody, not your parents or anybody, presented it to you as a gift, so from where is it coming? 
 
It must be coming from outside, 
the periphery must be touching other peripheries. 
 
From there, you must be getting the ripples and the waves
 
So be conscious'
 
-- because the moment you are conscious you are suddenly thrown to the center.
 
 
 
Be unconscious and you live on the periphery.
 
Be conscious and you are thrown to the center.
 
 
 
And from the center you can see what is happening on the periphery. 
 
Then if two people touch on the periphery, 
then two people will create trouble on the periphery, 
 
but it will not be any trouble for you. 
 
You can laugh, 
you can enjoy it, 
you can say, 
'It sounds fascinating.'
 
 
 
It happened: 
Buddha was passing near a village;
a few people came and they abused him very badly, said nasty things, used vulgar words -- and he just stood there. 
They got a little puzzled, because he was not reacting. 
Then somebody from the crowd asked, 
'Why are you silent? Answer what we are saying!'
 
Buddha said, 
'You came a little late. You should have come ten years ago, because then I would have reacted. 
But now I am not there where you are doing these things to me; a distance has arisen. 
 
Now I have moved to the center where you cannot touch me. 
 
You came a little late. I am sorry for you, but I enjoy it. 
Now I am in a hurry, because in the other village where I am going, people will be waiting for me. 
If you are not yet finished, then I will pass back by the same route. You can come again. IT SOUNDS FASCINATING.'
 
They were puzzled. 
What to do with such a man? 
 
Another from the crowd asked, 
'Really, are you not going to say anything?'
 
Buddha said, 
'In the village I have come from just now, people came with many sweets to present to me, but I take things only when I am hungry, and I was not hungry, so I gave them back their sweets. I ask you, what will they do?'
 
So the man said,
'Of course, they will go in the village and give those sweets as PRASAD to people.'
 
So Buddha started laughing and he said, 
'You are really in trouble, you are in a mess -- what will you do? 
You brought these vulgar words to me, and I say I am not hungry -- so now take them back! 
 
And I feel very sorry for your village, because people will get such vulgar things, vulgar words in their prasad.'
 
 
 
When you are at the center, 
IT SOUNDS FASCINATING -- you can enjoy it. 
 
 
When you are cool you can enjoy the whole world. 
 
When you are hot you cannot enjoy it, 
 
 
because you get so much into it; 
you are lost, 
you get identified. 
 
 
You become so messed up in it, 
how can you enjoy it?
 
 
This may sound paradoxical, 
but I tell you: 
only a buddha enjoys this world. 
 
 
Then everything sounds fascinating.
 
 
 
 
sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
beloved osho
prem mashal
 
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上記は独学で和訳してみました。
その後すでに和訳されている本をみつけましたσ(^_^;)
この講話の和訳された本はこちらです。
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